何のために生きるかが分かった

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結局、自分の「肉」が老いたらなくなる。
<肉>が「肉」だけのために地球ほど行なっても、「肉」が年老いるか死ぬかしたら終わる。

この御言葉を聞いて、
大学時代の自分を思い出しました。

世の中おかしいと思って、
「社会貢献」や「国際貢献」的なことに色々手を出していたけれど、
仮に自分が何か団体を立ち上げたり貢献したとしても、

「自分死んだら残らないか、そのうち消えるよね」

と自分自身に妙に冷めていました(*_*)
事実、多くの「団体」は消えているし、
理念も時が経つにつれて実体が成されていないことが多いです。

じゃあただ何となく会社勤めして生きたり、
何も考えないのも違うと思ったから、

社会人になってからずっとモヤモヤしていました。

一体、自分の行いで何が残るのだろう…?と。

肉体が行なうけれども、<目的>は「魂と霊」に置いて行なわなければならない。
<肉>が「霊」のために行なったら、永遠に残って存在するようになる。

この御言葉を聞いて、スッキリしました。
まずは神様が創造された「霊」のために行なうことなのだと。

むしろ「霊」を最優先にすれば、
「肉」のものは結果として残るのだということが分かりました。

参考:
漫画deバイブルスタディ:三分説―<霊>と<肉>

目の前の「仕事」に意義や目的を見いだせず違和感を感じていたり、
キリがないと限界を感じている人は、
必ず摂理でスッキリした「答え」を見出すことができると思います。

 

2016年4月28日 鄭明析(チョンミョンソク)牧師の箴言

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キリスト教福音宣教会のブロガー。社会人で教会に通うようになり、日常を記録したい思いからブログをはじめました。絵と写真が好き。趣味は水泳&インテリア。名古屋・主の栄光教会所属。