摂理メンバーは信仰に没頭することを奨励されているのか?

摂理、というか、宗教に対する偏見のひとつに、

宗教=一度ハマると抜けられない、社会性がなくなる、信仰に没頭することが奨励される、視野が狭くなる

みたいなものがあるような気がします。

実際、私もそうでした。

御言葉に聞き従うはいいけど、
世の中で働くことは、あまり「良いこと」としてみなされないの…?

社会と切り離されるのであれば、
ここはヤバイから辞めておこう…
そんな考えも頭に浮かんだものです。

でも、摂理は違いました。

勉強して神様に使われる人がいる。就職する人がいる。御言葉をのべ伝えて生きる人がいる。事業するがいる。各肢体が形のとおりに使われるように、人々も「個性どおり」に使いなさい。

このように、人によっては学業、就職や事業をおこして社会の証となることも、御言葉で奨励されてるんです。

もちろん、牧師の道を歩む人もいますが、個性通り。
世の中でバリバリ活躍されてから牧師になる方もいらっしゃいます。

そんなわけで、仕事も続けながら、
楽しく信仰生活を送っております(・ω・)ノ

摂理に冒頭のようなイメージをお持ちであれば、
ぜひ違うということを、実感してほしいなと思います。

 

2017.5.15 摂理の箴言

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ABOUTこの記事をかいた人

ブロガー&漫画家&写真家。貿易事務の仕事をしながら摂理(キリスト教福音宣教会)で信仰生活をおくっています。日々の信仰生活にまつわることを、イラストや写真でつれづれと。シンプルでミニマルな暮らしを模索中。水泳が趣味です。摂理や宗教のイメージをおしゃれにステキに変えていきたい。