「仕事」が「遊び」になる時代①

最近の世の中の兆候を見ていると、「仕事=遊び」になっている人と、「仕事=労働」になっている人の二極化が進んでいるなと思います。

私のまわりは(摂理メンバーの有無を問わず)比較的前者が多いです。
だから会っても仕事の話ばかりなのですが、やりがいを感じているから、むしろ力をもらえたり。

「『好きなことを仕事にする』なんて甘い」という人もいますが、でも実際、自分次第でいくらでも「好きな仕事」に就くことができるし、なければ自分で「創る」時代だと私は思っています。

例えばブログひとつをとっても、「作家」や「ライター」という「仕事」ができるし、昔はカメラを買うお金と専門教育を受けないとできなかった「写真家」だってできる。
自分で映像を撮ってチャンネルをつくれば「映像作家」や「映画監督」にだってなれるし、漫画を描きつづければ「漫画家」にもなれます。

今はインターネットが発達して、いくらでも自分を売り込める時代なのです。

事実、ブログやSNSから、プロの漫画家や写真家になる人も多くいます。
私も、このブログは言ってみれば「遊び」のようなもの。

これらのシゴトは、以前はお金と時間に余裕のある人(男性)だけのものだった、言ってみれば専門性の極めて高い分野ですが、凡人な私でも、できるようになった時代なんですよね。

つまり何が言いたいかというと、少なくとも日本で普通に暮らしていたら、「好きなこと」への道は誰にでも開かれているということなんです。

「好きを仕事にする」は、サッカー選手とか、アイドルとか、起業家とか、一部の特別な人たちのことだけに思いがちですが、ここまで技術が進歩して、選択肢も多様な時代だから、正直、ほとんどのことは自分ひとりで成り立つ時代です。
「個の時代」と言われる所以ですね。

お金になるとかならない以前に、ツールは、無数にある。
なければ、つくる。
これが、今の時代です。

求められるのは「創造力」や「感性」。
言われたことをそつなくこなす能力ではありません。

結局、自分の仕事を見つけ、それに関連した技術を自分の「体(Built-in tool)」に合うように開発し慣れさせてその分野の専門家になり、そして達人にならなければならないということです。その境地に達すれば、「仕事」が「仕事」ではなく、「面白いもの」、「遊び」となることでしょう。
(摂理公式サイト・マンデー:「使命」が「遊び」となり「祝福」となる世界 より)

最近、「好き」を「仕事」にするってどういうことだろう?
と考えることが多くなり、整理も兼ねて書いてみました。

恥ずかしながら、まだ私はどれも中途半端&模索段階なので、「仕事」にまではなりませんが(「好きなことを仕事にする」ことの責任と大変さも微力ながら感じている)、

でも、「好き」な「仕事」で「遊んで」暮らすことは、可能なんですよね。
必要な努力さえ、「楽しんで」できれば。

つづく…

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ABOUTこの記事をかいた人

ブロガー&漫画家&写真家。貿易事務の仕事をしながら摂理(キリスト教福音宣教会)で信仰生活をおくっています。日々の信仰生活にまつわることを、イラストや写真でつれづれと。シンプルでミニマルな暮らしを模索中。水泳が趣味です。摂理や宗教のイメージをおしゃれにステキに変えていきたい。