<死生観>の変化

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今日は摂理の死生観を。

最近、「終活」なんて言葉が出てきてしまうほど、死への関心は世の中でも高まっているように思えます。
Solが摂理に来て、大きく変化したことのひとつは、死生観かもしれません。

「人は死んだら生まれ変わるか、殺人や犯罪を犯したら地獄に行きそうだけど、悪いことをしなければみんな天国に行くのかな」

ぐらいの認識でした。

が、とりあえず生まれ変わりはなく(これはまた別の機会に)、摂理ではシンプルに、生きている間、神様から見た「善」を行えば天国へ、「悪」を行えば地獄へ行くといいます(極端に言うと)。

そして天国から地獄までの間にも多種多様な階層があり、生きている間の行ないによって、その位置が変わるといいます。
殺人や強盗などを犯さなくとも、心で不義なことを考えたり、人の悪口を言ったり、自暴自棄になったりすることさえも、神様からしたらふさわしくないことなので、天国には行けないことになります。

Solはこの世界を知ったときに、「心でも思ってはいけないなんて、どうしよう」と、困惑した覚えがあります(笑)

でも、だからこそ、「これはOK、これはダメ」と細かなことをひとつひとつ丁寧に、人間に教えてくれるのが御言葉。
この通りにしていれば、誰でも天国に行けるということです。

「やった分だけ成果が出る」というのが世の中の法則であるのならば、人生もそのように考えることが、よく考えたら理にかなっていると思いません?

天下の苦痛をすべて集結させた所、歯ぎしりするほど苦痛がある所、一度行ったら誰一人帰れないので、そこのことを伝えられない所、そこが地獄だ。反面、天下の喜びと愛をすべて集結させた所、愛の中の幸福が永遠に続く所、皆に来なさいと言ってあげるべき所、そこが天国だ。その世界を直接目で見る前に、信仰をもって両方の世界を伝えられる所が、今私たちが住んでいる地球世界である。
(天のことば 私のことば ①296)

というわけで、これは私個人の感覚ですが、死ぬことが全く怖いことではなく、むしろ楽しみと言っても過言ではないほど、希望的だと思うようになりました。

それは、御言葉で「今」を自信を持って生きているからに他ならないでしょう。

神様には神様の仕事があり、イエス様にはイエス様の仕事があるように、自分の仕事は自分でしなければならない。それぞれ自分の責任分担が大事だ。自分の責任分担なのに助けてくれる者を待っていて、愚かに死ぬようなことをするな。
(天のことば 私のことば②259)

すべきは、世の中の「終活」ではなく、ひたすら今から御言葉の実践です!

Sol

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洒落感と抜け感のあるエフォートレスな信仰生活を目指しています多分。スイマー&おしゃれ信仰生活推進委員。仕事は貿易事務。絵を描いたり写真を撮ったり、クリエイティブなことが好きです。