摂理の実力者とは?②

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以前、「摂理の実力者」は「御言葉通りに行う人」だと書きました。
今回はその続きを★

御言葉通りに行なう。
言うは易しですが、現実は、上手くいかないことも多々あります。

熱心に信仰生活を送っているのに、寝過ごしてしまって明け方のお祈りができない。
主日に向けリハーサルの準備をしたのに、当日疲れてしまって説教中眠い。
「完璧」な信仰生活を送っているはずなのに、伝道できない・・。
摂理人なら誰しもがぶちあたるであろうこの壁(Solだけ?)。

では、どのようにしたら良いのでしょうか?

でもここでも問題となるのは、やはり「うまくやるか」ではなく「御言葉通りやるか」「最善を尽くすか」です。

ひたすら神様のさせる通り、御心通りにすれば、うまくやれなくてもやったこと。
うまくやったとしても、それが人間の考えでやったことなら、やっていないこと。
くずれることは、過程の中で必ずあるのだと女性牧師さんはおっしゃります。

よく考えてみれば、鄭明析先生が、誰よりもこの挫折を感じています。

弟子達に裏切られながらも、過去も現在も、最善を尽くして御言葉を述べ伝えている。
中心の韓国は、最大の迫害が起き、先生が直接手をかけられた信徒ですら摂理を出ていってしまうこともありました。
信仰基盤のない日本では、来日されたら肉体が倒れるまで、できることはすべて行なって帰国されたと聞きます。

だから「失敗」したとしても「繰り返し学び、次元を上げて行なうこと」が御心の生だと女性牧師さんはおっしゃいます。
「表象」とは「足台」になることだともおっしゃいました。

そのように、鄭明析先生は、摂理歴史の足台を築いてこられました。
うまくいかなかったとしても、御心通り行なっていれば、それが「天との経緯(いきさつ)」となり、さらにくやしい思いをバネにして、前に進む力を得る。
そしてさらに、次元を上げたものが出来るようになる。

その結果が現在の摂理ですし、先生の故郷にある芸術作品「野心作」が、まさにそのことを象徴しています(これはまた今度!)。
神様の御心は、過程の中でも成されるということです(これもまた今度!!)。

このように考えると「表象」の意味を改めて考えさせられます。

自分自身にしても、つい短期的な視野を持ってしまいがちですが、「何をするか」というよりは「どのように行うか=御心通り行なっているか」に重きを置くべきだなと。

教会にしても、御言葉の方法通り、ただ御言葉を正確に悟り伝えることさえすれば、ふさわしい結果が伴うのでしょう。

ちなみに、御心通り行なっても結果が伴わなかった場合、その労苦は必ず「運」となって、どこかで受けるそうですよ★

だからひたすらに、神様の御心通りに、最善を尽くすことが大事、という今日の話でした。

Sol

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洒落感と抜け感のあるエフォートレスな信仰生活を目指しています多分。スイマー&おしゃれ信仰生活推進委員。仕事は貿易事務。絵を描いたり写真を撮ったり、クリエイティブなことが好きです。