
個性に関する御言葉をあれこれと聞く中で、改めて、自分の個性とは何だろう?と考えてみます。
よく「ぶっとんでる」、「(中身が)外国人みたい」とかは言われますが、私より変わってる人はいくらでもいるし、仮に外国人のようだとしても、それ自体は個性というわけではないんですよね。
特に何かが秀でている訳でもなく、むしろ器用貧乏な私…。
今の仕事も、現時点の生活においても、イマイチ個性が活かしきれていないというのは、実は常々感じるところだったりします。
自分に属した個性と才能の仕事は「自分」が王だ。だから「自分」だけができる。
(2014年9月23日 摂理・鄭明析牧師の御言葉)
わかるんです。
いや、わかるんですけどね(TT)
その「自分にしかできないこと」が何か、まだわからないんです。
神様と聖霊様と御子が「各自の個性と才能」を悟らせてくださるから、極的に祈りなさい。
(2014年9月24日 摂理・鄭明析牧師の御言葉)
やはり、祈れと…。
しかも「極的に」です。
普通の祈りと実践じゃ見つからなさそうです(笑)
でもそれだけ、諦めることなく、切実に発掘する価値があるのでしょうね。
大きなものは、苦労してこそ、掘り出すことができますから(うまいこと言った!←)。
「その仕事の個性者、才能者」がその仕事をするときに、能力があり、才能があって、力になり、自信が溢れ、神様も聖霊様も御子も分体も、その人はできるから、共にして一層うまく行なうように助ける。
(2014年9月24日 摂理・鄭明析牧師の御言葉)
動物も、植物も、各自その種類ごとにしか出来ない役割があるように、神様が人間を見たときも、そのようなのでしょう。
その人の「個性」と「才能」を通してでしか、成せない御心があるということです。
「自分の個性、才能、特性」を求め、見つけて、使命を果たし、御子と分体と一緒にみんな一つになって、摂理歴史を輝かしく広げていこう。
(2014年9月24日 摂理・鄭明析牧師の御言葉)
神様が私を通して理想世界を成せるよう、摂理で「個性の開発」頑張ります(*^^*)
Sol