「自分の人生」に何を残し、「摂理史」に何を残すか

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他の教団は数百冊の本を残すのに、摂理史は神様と御子が数万回も御言葉を伝え、深い真理を教えてあげたのに、本の一冊もちゃんと書けません。→これは食べ物の材料を与えても食べ物を作れない女と同じです。

ガツーン!ときた御言葉でした。
もうアーメン(その通りです)というか、すいませんというか。

このブログも、それを摂理に来た頃から感じていたから、立ち上げたというのも大きく(というかそれがメインかも的な)、「自分史」と「摂理史」に何を残せるか?は、Solの大きなテーマだったりします。

もちろん摂理史の数人は<時代の御言葉>をもって歴史に残る説教をしてリバイバルさせもし、本も残し、講義もします。しかしその他は「個性と才能」があるのにしないでいます。

「証」をすべき人が、「証」ができていないことともとれます…。
インターネットも全世界中で見れるようになったこの時代。
いくらでも方法はあるはずなのに、それが出来ていないのであれば、本当に悔い改めるべきことです。

この素晴らしい御言葉を聞いて、その素晴らしい頭をもって「自分の人生」に何を残し、「摂理史」に何を残したか、考えてみることを願います。

材料を与えられても、料理ができないとか、残念すぎじゃないですか(TT)
個性と才能通りに行えないのは「罪」であり、果物が腐るのと同じだとも言っております・・。

各自、開花すべき個性と才能をもって、摂理史に残すべきものを見いだせますよう。

冒頭の御言葉を胸に刻みつけ、Solもブログの書籍化目指して頑張ります=33

Sol

参考:2014年9月28日 摂理・鄭明析牧師の御言葉

ABOUTこの記事をかいた人

摂理の日常を描いてます。社会人で導かれ教会に通うようになりました。宗教や信仰を身近に感じてもらえたら嬉しいです。スイマー・おしゃれ信仰生活推進委員。今ハマってるものはインテリア♪インターネットが好きです。