「自らの行ない」が互いに分かれるようにする

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最近、学生時代の友人たちの近況を聞いて、本当に自分と「道」が分かれていることを感じます。

学生時代の頃は、同じような価値観、考えで、(Solは社会人になってから摂理に来ました)共有することもあったのに、数年経つと、「わずかな考えの角度の違い」がここまで大きく異なる道になるのかと・・。

結婚をして「落ち着く」友人
相変わらず仕事にのめり込んでいる友人
世の中に対して、何か矛盾や疑問は感じながらも根本が解決されず悩んでいる友人
学生時代は夢や希望を語っていたのに、「普通の会社員」になってしまった友人

「だいたいこういう生き方をするんだろうな」と、何となく予想できる友人がそのようになるのは何だか納得(?)してしまうのだけれど、少なからず本質的に似たような考えを持っていた友人たちが、ここまで自分と異なる道(厳密には「考え方が異なる道」)を歩んでいるのを見ると、本当に、少しの角度の差でもまっすぐ進むと、着地点は大きく異なるのだなと感じます。

数年でそうなのだから、数十年経つと、どれほどなのだろうと。

「自らの行ない」が互いに分かれるようにする。
(2013年4月10日 摂理・鄭明析牧師の御言葉)

人生は、自分が何を考え、どう自分をつくるか。

一度時間をかけてつくってしまったら、良かれ悪しかれ、なかなかもとに戻るのは難しいのです。

あまりに大きな「違い」を目にしながら、何だかそんなことを思いました。

Sol

ABOUTこの記事をかいた人

キリスト教福音宣教会(通称:摂理)のブロガー。普段は総合職で海外とつながるお仕事。女性の社会進出に興味有。漫画を描いたり写真を撮ったり泳いだり、多趣味極まりない感じで、色んなものが飛び出します。