自然科学の出発点と今―デカルトあたりから見てみる

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「自然科学」(=ざっくり今の「理科」)という言葉が生まれたのは、近代。

それまでは、神様を絶対的とした宗教をベースに学問が成り立っていましたが(スコラ哲学とか言ったりします)、ルネサンスや宗教改革を通して、神様や教会ではなく、人間の持つ理性や感覚をたよりに世界を理解してゆこうとする動きが生まれました。

「自然」も、神様がつくった絶対的なものとして人間を「支配」するものではなく、人間が、自分たちの生活に役立つように自然を「支配」してゆくという考えが生まれたのも、この時代です。

ヨーロッパの庭園などを見るとよくわかりますよね。
幾何学的な模様になっていたり、数学的に計算された配置であったりするのは、まさにこの「支配」の象徴。
今の私たちの生活の出発点かもしれません。

この時代の代表的な哲学者としてデカルト(仏:1596)があげられますが、彼もまた、自然を「物質」だと定義し、人間が好きなように「操作」できるものだと考えました。

「我思う、故に我あり」なんて言葉が有名ですが、これは、人間の「考える」という意識や精神が、この世で唯一疑うことのできない、物質とは異なった存在だということを明らかにした言葉です。

自然が人間世界と切り離され、この「考え」に基づいた「合理性」や「論理」が重んじられ、それは後の「王権神授説」(王の権力は神から授かったものだという考え)という言葉が示すように、神様ではなく、人間が中心的な存在として、国家や政治が形成されてゆく出発点のようなものでした。

けれどもやはり、「発展途上」であったり、「不完全」な思想であるならば、必ず問題はつきもので、後にその「不完全さ」を補う「新しい思想」が生まれます。
それがパスカル(仏:1623)であったり、ホッブス(英:1679)であったり。

Solが大学時代、学んでいたのはもう少し先の1800年代。

絶対王権を覆すフランス革命(1789)が起こり、人間の「支配」に基づいた世の中が「限界」に達して、様々な弊害を生む中での新しい思想や哲学、人や社会のあり方でした。
この時代から、「自然回帰」の動きも徐々にはじまり、先に見た庭園の景観も変化してゆくのですね。
曲線美を描いたアール・ヌーヴォーなどの芸術運動も、この頃から始まります。

このように、歴史の流れで、人や社会のあり方を見てゆくと(めちゃめちゃはしょりながらも)、自然と次のような問いが生まれます。

「じゃあ今の流れはどこにあって、この先はどうなるのか?」

時になったら自分の既存の生から次元を上げて生きてこそ、一層大きい希望と理想が成される。歴史も時に従って次元を上げて、続けて前進する。
(2011年1月12日 摂理・鄭明析牧師の御言葉)

Solの場合、その「答え」を与えてくれたのが、「摂理」でした。

みなさんは、どうでしょう?^^

Sol

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洒落感と抜け感のあるエフォートレスな信仰生活を目指しています多分。スイマー&おしゃれ信仰生活推進委員。仕事は貿易事務。絵を描いたり写真を撮ったり、クリエイティブなことが好きです。