パリの乱射事件に関して、摂理の信仰人として感じること。

20150108k0000m030119000p_size6

仏紙襲撃、編集部内で乱射 発行人や警官、次々殺害 (2015年1月7日 朝日新聞)

また起きちゃいましたね、、乱射事件。。

最近、こうした突発的な「テロ」が本当に目につくような気がします。

自分の関心がそこに向いているだけなのか、事実としてこのような事件が増えているのか、それは分かりませんが、ただほとんどの事件に宗教の問題が絡んでいることが、とても悲しいことだなと思います。

今回標的となったのは、パリの新聞社「シャルリー・エブド」。
イラストが多く風刺画などで人気の週間新聞社です。

午前11時頃、突然銃を持ったイスラム系の男が「神は偉大なり」と乱射を開始し、編集長を含む計12人が死亡をしたといいます。
神様の名をもって人殺しをすることは、断じてあってはならないこと。

4000年以上前のモーセの『十戒』にすら、「殺すな」と記されているのに、「聖戦」や「神のため」と、明らかに人間の「主観」で神様の言葉を解釈し、人殺しを正当化することは、果たして神様が望んでいることでしょうか?

ただ、今回の報道、というより最近の度重なるテロ報道を見ていて、必要以上にイスラム国を「敵国」「テロリスト」とまくしたてる風潮があることに恐ろしさも感じます。

もちろんイスラム教の人々がこうした事件に加担していることは事実かもしれませんが、彼らからしたら、10年前の9.11以後のアメリカによる「報復」も「聖戦」と名乗る「キリスト教国のテロ」ではないかと思いますし、その後のイラク戦争やアフガン戦争も…。

最近は、米軍によるアフガニスタンの「誤爆」で28人が結婚式の最中で命を落としています。
もっとさかのぼるなら、植民地時代はどうだったのかと。

イスラム教の人たちの肩を持つわけでは決してありませんし、キリスト教を批判したいわけでもありません。
ただ一方からのみ見ることで、「宗教対立」という分かりやすい構図に当てはめることで、どこか本質を見失っていないかなと、報道を見ていて思うわけです。

あなたは武力で戦い、その瞬間だけ勝利する愚か者にならずに、真理と順理で戦い、永遠に勝利する知恵者になりなさい。
(『天のことば 私のことば①』No.20)

あまりに多発する「テロ」、「敵」をつくることでいかにも「正義」を主張するような時代のあり方に疑問を抱きながらも、平和と宗教の問題を続けて考えてゆきたいと思った摂理人のSolでした。

Sol

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。

CAPTCHA


ABOUTこの記事をかいた人

キリスト教福音宣教会(通称:摂理)のブロガー。普段は総合職で海外とつながるお仕事。女性の社会進出に興味有。漫画を描いたり写真を撮ったり泳いだり、多趣味極まりない感じで、色んなものが飛び出します。