摂理の羊飼い―「美」という漢字から考える

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最近、「美」という漢字について考える機会がありました。

「美」

摂理・鄭明析先生のように析(さ)いてみると…

「羊」 + 「大」 = 「美」

見てのとおり 「羊」 と 「大」 の漢字の組み合わせです。

「大きい羊」が、古来から「美」を象徴していたのですね。
絵画のモチーフなど、西洋のイメージが強い羊ですが(Solだけ?)、日本でもポジティブに受け止められているのは興味深いですよね。

聖書でも、羊は様々な箇所に登場します。
有名な聖句は、これかな?

イエスはまた言われた。「はっきり言っておく。わたしは羊の門である。わたしより前に来た者は皆、盗人であり、強盗である。しかし、羊は彼らの言うことを聞かなかった。わたしは門である。わたしを通って入る者は救われる。その人は、門を出入りして牧草を見つける。盗人が来るのは、盗んだり、屠ったり、滅ぼしたりするためにほかならない。わたしが来たのは、羊が命を受けるため、しかも豊かに受けるためである。わたしは良い羊飼いである。(ヨハネ10:7-15)

これは、民を「羊」にたとえ、イエス・キリストが民を救う「羊飼い」であることを象徴として書かれている聖句です。

イエス様の「御言葉」に、羊のように従順に聞き従うことで、約2000年前、「救い」の「門」が開かれました。
聞き従った人は、歴史に残る「大きな羊」となりました。

また「良い羊飼い」の条件として、このように書かれています。

良い羊飼いは羊のために命を捨てる。羊飼いでなく、自分の羊を持たない雇い人は、狼が来るのを見ると、羊を置き去りにして逃げる。――狼は羊を奪い、また追い散らす。――彼は雇い人で、羊のことを心にかけていないからである。わたしは良い羊飼いである。わたしは自分の羊を知っており、羊もわたしを知っている。それは、父がわたしを知っておられ、わたしが父を知っているのと同じである。わたしは羊のために命を捨てる。(同上)

羊のために命を捨てるのが「良い羊飼い」。

ともすれば、犠牲を伴わない羊飼いは、「悪い羊飼い」、すなわち「偽物」だというようにも捉えられます。

さて、摂理の「羊飼い」はどうでしょう…?

「美」という漢字が意味するところは、とても深いなと思ったのでした。

Sol

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摂理の日常を描いてます。社会人で導かれ教会に通うようになりました。宗教や信仰を身近に感じてもらえたら嬉しいです。スイマー・おしゃれ信仰生活推進委員。今ハマってるものはインテリア♪インターネットが好きです。