平和も争いも、すべての出発点は「考え」からはじまる。

2015年終戦記念日

極端な話かもしれませんが、地球上のすべての人が「争いはやめよう」と「考え」さえ決心したならば、今すぐにでも平和は訪れるとSolは思います。

1914年のクリスマス、英独仏軍の間で1日だけ戦争状態がなくなったクリスマス休戦は、その実例だと思いますが、このように「やめよう」と思えば、人は簡単に争いをなくすことができるのだと思います。

どんな政策が必要か、どんな支援が必要か、はたまた個人レベルで何をしたらいいのか等々…「何を」行なうかも重要だけれど、「これをやったらこの問題が解決する」という方法論自体にはキリがないので、根本的には個人が「どのような」「考え」をもって生き(ようとす)るかということが、やっぱり重要なのだと感じます。

争いを止めるものが「考え」だとするならば、平和を成すのもまた「考え」。

一国の代表の「考え」も、言ってみれば、選んでるのは私たちなわけなので、「政治は国民を映す鏡」なんて言葉がありますが、私たちの「考え」(=スタンス)がそのまま反映されているのが今の日本の政治であり国のあり方。

民主主義国家において、国民がしっかりした「考え」を持っていればそれなりの政治が成されるし、逆に何も考えていなければ、やっぱりそれ相応の政治しか成されないのです。

いくら<目>に見えても、「自分の視力」がよくなければ、それ以上見ることができない。
これと同じく、<考えの視力>、すなわち<考えの次元>が低ければ、それ以上のものはまったく見ることができず、感じることができない。
(2015年8月13日 鄭明析牧師の御言葉)

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だからSolは尋ねるのです。

平和の王である聖三位神様と主に、地上天国を成すためにふさわしい「考え」を下さいと。

結局、真実な平和をどう実現したらいいかなんて、地上天国を地球上の誰よりも願う神様が1番よくご存知のはずで、人間だけの力では、到底成せないこと。

だから、神様の「考え」をもらうしかないのです。

クリスマス休戦なんて奇跡的な出来事も、やっぱり神様が人間の「考え」に働きかけたこと。

そんなことを、戦後70年の節目に思いつつ、改めて自分が御言葉を学び、伝えてゆく意義について考えさせられた、そんな終戦記念日です。

Sol

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ABOUTこの記事をかいた人

摂理の日常を描いてます。社会人で導かれ教会に通うようになりました。宗教や信仰を身近に感じてもらえたら嬉しいです。スイマー・おしゃれ信仰生活推進委員。今ハマってるものはインテリア♪インターネットが好きです。