
神様と聖霊様と御子は「人間との経緯があるところ」に歴史を広げる。
2015年8月16日・主日の御言葉は、神様と人間との経緯についてのお話でした。
今週は、ずっと毎日祈りながら、自分と神様との経緯について考えていました。
特に今週は、絵が個人的に停滞気味で、絵を描くことは本当に神様が私に与えて下さった個性であり、それだけでも大きな「経緯」なのに、なかなかうまく収めることが出来ていない自分に少し嫌気がさしていました。。
いっそのこと捨ててしまえればラクかもしれないのになーなんて考えていたら、摂理の名古屋嬢ブログのエステルさんがこんな記事を書いていました。
このブログで書いてきたとおり、私は順風満帆な建築の道を歩んでいません。
常にもがき、しがみつき、主とともに建築の道を歩んできました。
建築の道があまりに大変で、大学院進学をせず、書道家になろうと決心をするものの、建築の道を後押しして下さった神様。
捨てるからこそ、必要な道は見えるものですが、実は捨てたものがその道だった、ということは、往々にしてあります。
エステルさんほど熱心にやりこんでいないので恐縮ですが、Solは絵をはじめ、取り組んでは捨ててきたことが、実はたくさんあったりします(だからどれも実に中途半端…)。
その度に、一芸に秀でている人や、「ウリ」がある人を羨ましく思ったりするものですが、最近は、この「ちょっと広く、ちょっと深く」な自分の性格も個性と捉えて、その位置でしかできないことを見出したいな、なんて思うようになりました。
ブログもやっぱり1つだけを極めることができなくて(絵ばっかのブログに自分が飽きてしまう笑)あれこれ手を出してしまうのですが、「つながっているものはひとつ」という経緯を、主とともにつくってゆけたらいいなと思うのでした…☆
Sol
摂理・主日の御言葉の要約は、マンデー(Mannam Daehwa)のこちらからもどうぞ★