ありふれた日常にこそ「特別」なことがある

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先日、ふと思ったんです。

「私って、本当『ふつう』の生活をしているな・・」と。

仕事もひたすらパソコンと向き合ってるような仕事だし、普段人と会うこともないから黙々と運動したりブログを書いたり、教会での仕事も特にない。

ここ数日の自分の記事を眺めてみても、食べたものや、花の写真や、仕事であったこと、ニュースの話など、誰もが目にする「ありふれたこと」ばかり。

納豆とか、パンとか、生活感かんじる(笑)

でもこうした誰の目にも入る身近なことからも、摂理の御言葉を感じることってじゅうぶんできて、「あ、わたしこういうこと伝えたらいいじゃん」て、改めてその価値に気づいたんです。

自分は、何か特別な仕事をしているわけでもないし、まわりが羨むような仕事をしているわけでも、世の中で通用する経歴や実力があるわけでも、ありません。

でもだからこそ目線を低くして見れることもあるし、ありふれた日常の中にこそ、真理=御言葉がひそんでいるということを、このブログを通して発見してもらえたら、今はそれだけでうれしい。

「生活の中」で自分を作るのだ。
「大きいこと」ばかり望まないで、
「小さいこと」から始めなさい。
「小さい変化」が「永遠な変化」を生む。
「生活の中の英雄」になりなさい。

「何気ない日常を、神様との日常に。」

このキャッチ(?)は、そんなことを考えているとき、ふと舞い降りてきた言葉で、すごく気に入っています。

このブログを読んで下さっている方々が、生活の中で働かれる神様をもっと感じて下さるように。

「私」ではなく「真理=御言葉」を主人公にしたブログを、もっとつくってゆけるように、これからも書き続けてゆきたいです。

引用:2014年8月26日 摂理の御言葉

ABOUTこの記事をかいた人

キリスト教福音宣教会(通称:摂理)のブロガー。普段は総合職で海外とつながるお仕事。女性の社会進出に興味有。漫画を描いたり写真を撮ったり泳いだり、多趣味極まりない感じで、色んなものが飛び出します。