
先日、母親が私の家にきました。
そのとき、ブログの話になって、
私が社会人になって、絵を描いたり写真を載せたりする場所があることがたのしいと伝えたら
「あなた(幼い頃)ずっと描いていたもんね」とひとこと。
そういえば、私は幼稚園に入る前からずっと絵を描いていた。
中学時代は、お小遣いをすべてつぎ込んで、犬の写真ばかり撮っていた。
美大に行きたいと思ったし、
西洋美術に感化されて、芸術をするなら「神様のため」という思いは漠然とあったけれど
「神様のため」という感覚がどういうことかよく分からなかったし、
そもそも何のために美大に行くのか明確な目的が分からなかったから、
普通の大学に進みました。
摂理にきてブログを立ち上げて、滞ってた自分の絵や写真を載せることなんて思いもしなかったけれど、
今ははたから見たらただの「趣味」とも言えるこの時間が本業より楽しくて、何だか幼い頃の自分に戻ったようです。
だから、よく「好きなことが分からない」「自分の個性が分からない」と言う人は
幼い時の自分を振り返ると見えてくるものってあると思います。
それを掘り起こす(努力をする)か、しないかなだけであって、「好きなこと」や「個性」はすでに自分の中に眠っているものではないかなと。
私は、それを神様と見つけました。
個性の王たちだ。
<自分>を作って最先端に「味」を出すようにしなさい。
成長の過程で、「お金にならない」とか「社会的な地位が低い」とか、
外的要因で幼い頃の夢がつぶされてしまった、あきらめてしまったというのは、よく聞く話。
はたまたまだ「時」でなかったのかもしれない。
でも、自分を創造されたのは神様だから、神様を信じて委ねる生さえおくれば、誰しもが見つかるのではないかと思います。
まだ、私自身もようやく輪郭がつかめてきたかな?程度の位置にいるだけですし、
何か「結果」を残したり、仕事にしているわけでもないので、エラそうなことは言えませんが、
今はただ、純粋に忘れていた「好き」の気持ちがフワッとみつかったことを伝えたくて、書いています。
幼い頃は分からなかった「神様のため」という問いの答えを出せるように、
続けてブログを書いてゆきたいと思います。
参考: 2016年04月21日 鄭明析牧師の明け方の箴言