ベルギーテロ ―「今は誰も責める気にならない」

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新聞を読んでいたら、
3月22日に起こったベルギーテロの被害にあった男性の取材記事がありました。

3月22日は「いつも通りの朝」だった。

欧州連合(EU)本部に近い地下鉄マールベーク駅を出発した直後だった。
4〜5メートル先から閃光(せんこう)が走り、2度大きな爆発音がした。
「焼かれるような」熱風に包まれた車両は不規則に何度も激しく揺れ、頭や体を強く打った。

(…)あごが砕けた人や手足が吹き飛ばされた人たちが地下から次々と運ばれ、「辺りは血まみれで通りは戦場のようだった」。

満員の車両で数メートル先の自爆犯の顔は見えなかった。
当初は「怒りと憎しみ」があったというが「今は誰も責める気にならない」。

毎日新聞2016年6月3日 東京朝刊より

「今は誰も責める気にならない」

テロに関わらず
社会的な構造が原因の一旦を担うならば

特定の「誰が悪い」とか、
「原因は~だ」とか、
一概には言えないなと思います。

これを読んで身近で亡くなった人のことを思い出し
いくらでも怒りをぶつけたり
人を責めたりすることはできたにもかかわらず
誰も責める気が起こらなかったことを思い出しました。(信仰があったことが大きいと思うけど)

(被害者男性が「今は誰も責める気にならない」と語る理由は)昨年11月のパリ同時多発テロ以降の「ホームグロウン」(自国育ち)テロを大局的にとらえ「構造的な問題が背景にある」と考えるようになったからだ。

結局、構造的に見ていかないと、問題がなくなることはないと私も考えています。

でもその構造をつくっているのは、
私たちひとりひとりだから、
結局は、個人のあり方が運命を左右するのだと思います。

個人も、民族も、ただ<悔い改め>だけが「罪の問題」を解決する。

「個人のあり方」に、これまで以上にベクトルが向いている今日この頃。

私は何が、できるだろうか?

 

参考:2015年10月1日 摂理の御言葉

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キリスト教福音宣教会(通称:摂理)のブロガー。普段は総合職で海外とつながるお仕事。女性の社会進出に興味有。漫画を描いたり写真を撮ったり泳いだり、多趣味極まりない感じで、色んなものが飛び出します。