神様の「痛み」を知った日

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今日、電話である人と話していて

「なかなか人が経験しないことを経験したり体験するって、
その人だけに伝えたい神様の心情があるんだよね、きっと。」

と教えてもらった。

あぁ、本当にそうかもと・・。

自分や身近な人が病気になったり
大きな事故に巻き込まれたり
身内に予期せぬ不幸が訪れたり
ありもしない報道被害にあったり

他にも色々あると思うのだけど
ここまで人間が神様を信じず自分勝手に生きている世の中を見て、
「絶望」としか言えない状況を誰よりも経験しているのは神様だから、
そんな絶望的な心情を「この人ならば」って言う人に絶望的な体験を通して伝えてるんじゃないかって。

「辛い」って、誰にでも言えるわけではないから。

その辛さを分かってくれる人にだけ、
そのセンターで働くのだろうなって。

主を自分の恋人だと思って、小さいことでも心を痛くさせたらその心が痛いだろうと思って生きてこそ、主の心が感じられ、主と対話もできる。
主は神だが、その心情を分かってさしあげてこそ、対話ができ、通じる。

自分が「痛み」を感じたら
それは神様の「痛み」なのだと思う。

でもだったらそれは
「絶望」ではなくて
主を知る「希望」なのだとも思う。

 

参考:2011年9月10日 摂理の御言葉

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キリスト教福音宣教会(通称:摂理)のブロガー。普段は総合職で海外とつながるお仕事。女性の社会進出に興味有。漫画を描いたり写真を撮ったり泳いだり、多趣味極まりない感じで、色んなものが飛び出します。