「私はテロに疲れ果てている。」

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トルコ、ベルギー、バングラディッシュ、イラク、パリ、
そして仏南部ニースと、もう一体どこで何が起こったのか、分からなくなるほどにテロ事件が相次いでいますが、

ツイッターで、頻発するテロ事件を受け、「私は(テロに)疲れ果てている」と投稿する人々が出始めているようです。

仏語で「私は疲れ果てている」という意味のハッシュタグを付け「我々はテロが起こった後、最初に『また?』と思ってしまう時代に生きている」「もうテロはたくさんだ」などと、多くの人が憤りをつぶやいている。
(2016年7月17日 毎日新聞)

ベルギーテロ事件で「もう誰も責める気になれない」という記事を書きましたが、本当に、わずか数人の実行犯で何十人、何百人と犠牲になり、実行犯は自殺までしてしまうのだから、怒りの矛先をどこにも向けられず、無気力感に襲われるしかないのだと思います。。

「対テロ」対策をどれだけしたところで、
防ぎようのない事件がここまで起こると、

実行犯の思想を続けて生む社会のあり方と
その中での自分のあり方を
私も深く考えざるを得ません。

人々が生きていく中で心が虚しく、空虚で、生きる味を失って生きる時もあるけれども、それぞれ問題の答えは違うにしても、根本的には、<考え>と<体>が別々に生きるからそうなのだ。

身近なところから、何をしたらいいのか、頭=<考え>では分かってるのだと思います。
けれども、<体>がついていかない。

だからすぐに忘れ、反省なく、同じようなことが繰り返されてしまう。

そんなスパイラルに世界が陥っていると思います。

どこかでこの連鎖が止まるように、
私も続けて祈りながら、
生き方の提言をこのブログでもしてゆきたいと思います。

 

2016年7月17日 主日の御言葉

ABOUTこの記事をかいた人

貿易の仕事をしながら摂理の教会に通っています。スイマー・おしゃれ信仰生活推進委員。今ハマってるものはインテリア。インターネットが好きです。