いずれ死ぬのに生きる意味はあるのか?その答えを見つけた。―ポーランド共和国・ティアさん

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ポーランド人のティアさんの声が摂理の公式サイトに掲載されていました。

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もともとカトリックで、神様のことを信じていたけど、
人生に疑問をもちはじめた。

人生の意味は?
目的は?
死んだらどうなるの?
どうせ死ぬなら生きる意味はあるの?

教会では答えを得られず、行くのをやめた。

自分はもう神様とは関係ないと思って
本を読んだり心理学を学んだり答えを探したけれど
でもやっぱり答えを得られなかった。

日本に留学中、御言葉に出会った。
聖書は知ってるから学べない。
クリスチャンはつまらない。
そんなことを思っていたけれど、
でも「聞いてみたら?」という心の声を聞いた。

聖書を知っていたから、何を教えるか分かると思っていた。
でも違った。
「新しい御言葉」は、完璧に意味が通っていた。

・・・

自分がどうして生きるのか?
という答えを明確に言える人って、なかなかいないと思います。

「なるようにしかならない」

そのような声を聞くのも事実です。

でもティアさんが言うとおり、
じゃあどうせ死ぬのに、なんで生きる意味があるのか?
一体、何を目的として生きるのか?

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コップは水を入れるという目的があってつくられるように、人間もそのように目的があってつくられたと鄭明析(チョンミョンソク)先生はおっしゃいます。

人生の目的が何なのか、
御言葉ではどのように伝えられるか、
気になる方は、ぜひ聞いてみてください。

ABOUTこの記事をかいた人

キリスト教福音宣教会(通称:摂理)のブロガー。普段は総合職で海外とつながるお仕事。女性の社会進出に興味有。漫画を描いたり写真を撮ったり泳いだり、多趣味極まりない感じで、色んなものが飛び出します。