ポンソク牧師:「 皆が存在するために」

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「存在するときまでだけ存在する」と言った。


存在するために、自分が立つ位置、座る位置を区分すべき。つまり自分の身の程をわきまえるべき。
謙遜とは。自分が低くなり、相手を高めること。そうしてこそ長く存在できる。

摂理は一人では行けない。人と交わりながら、相手を認め、自分が低くなるべき。相手の話を聞いてあげ、仕えて、自分の主張し過ぎず…。

急いで結果を求め、あちこちへ行き来する根のない人生を生きるのではなく、本当に愛するのならば、見守り、待ってあげること。時間が必要。自分のペースをしっかり守って最後まで。

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自分で言うのもアレですが、
私は「結果」を急ぐほうだと思います。

あまり、問題も問題と思わず、突き進むタイプ。
基本「ストレス」や「ネガティヴ」という単語も私の辞書にはない。

それ、もっとはやくできるでしょ。
そんなことぐらい、はやく乗り越えてください。

→根のない人生 (・ω・)ノ

結果を急ぐ必要がある一方、
見守り、待つことのバランスをとるのが、

難しいなって思います。

ABOUTこの記事をかいた人

キリスト教福音宣教会(通称:摂理)のブロガー。普段は総合職で海外とつながるお仕事。女性の社会進出に興味有。漫画を描いたり写真を撮ったり泳いだり、多趣味極まりない感じで、色んなものが飛び出します。