
<自分自身>による喜びと希望と興奮と感覚がなければ、つらい。
相手が喜びと希望を与えても受けられない。
どんなことでも言えるけれど、
まずは自分自身が、喜んで行なわなければ、
いくら「あなたのため」と言っても、
相手にとってはむしろ負担で、
押しつけがましいものになってしまう。
「神様のため」
とは言っても、
義務やルーティン、
また必要以上にこだわって消耗してしまったら、
そういう姿をみるのは神様もツラいだろうなと思う。
これは、人に対しても同じ。
<喜びと希望と興奮と感覚>
を維持できる線を自分で引いて、
本当に必要なことだけを行なえるようにしたい。
2016年4月20日 摂理・箴言の御言葉