自分に<喜び>がないとつらい

Exif_JPEG_PICTURE

<自分自身>による喜びと希望と興奮と感覚がなければ、つらい。
相手が喜びと希望を与えても受けられない。

どんなことでも言えるけれど、
まずは自分自身が、喜んで行なわなければ、
いくら「あなたのため」と言っても、
相手にとってはむしろ負担で、
押しつけがましいものになってしまう。

「神様のため」

とは言っても、
義務やルーティン、
また必要以上にこだわって消耗してしまったら、
そういう姿をみるのは神様もツラいだろうなと思う。

これは、人に対しても同じ。

<喜びと希望と興奮と感覚>
を維持できる線を自分で引いて、
本当に必要なことだけを行なえるようにしたい。

 

2016年4月20日 摂理・箴言の御言葉

ABOUTこの記事をかいた人

キリスト教福音宣教会(通称:摂理)のブロガー。普段は総合職で海外とつながるお仕事。女性の社会進出に興味有。漫画を描いたり写真を撮ったり泳いだり、多趣味極まりない感じで、色んなものが飛び出します。