摂理の御言葉っていつも同じこと言ってるんじゃない?という誤解

摂理の御言葉は同じことを言っている(からそんなに毎回聞かなくてもいい)という話を聞くことがあります。
Solも、摂理に来たばかりの頃、そのように思うことがありました。

「あ、また(角度を変えて)同じことを言ってる・・」

「次元を上げなさい」とか「聖三位と一体になりなさい」とか、毎回のように伝えられたり。

でも、先日Solの教会の牧師さんがこのように伝えて下さいました。

御言葉は真理だから、変わらないもの。
けれども私たちの状況は毎日のように変わる。
だから自分の状況に適時照らし合わせて聞かなくてはいけない。

これを聞いて思い出したのが、母親の話。

以前「成長してこそ神と近づく」という御言葉が伝えられたのですが、母親は、この御言葉を聞いたときがちょうど誕生日&新しい医療系の仕事が決まった転換期だったこともあり、「今の自分にふさわしい言葉」とすごく感慨深そうに読んでいました。(年齢の重みを感じた・・)

一方、私は、当時このブログが2年目の月で、2年前の自分の記事や写真を見ながら、自分の成長を感じていたので、私が聞くのと、母親が聞くのとでは、聞く「次元」が異なることを感じました。

母と子でもここまで違うから、例えば「行なった分だけ得る」というシンプルな御言葉も、経営者の方や、トップアスリートの方が聞いたら、全く異なるのでしょう。

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Brilliant!! その通りだ!!
私はインターネットを開発すべく最大限の努力を行った。(聴衆:拍手喝采)

kao (18)

アーメン!そのとおりです!
ブログをここまでつくるのに大変苦労しました。(聴衆:聞いてないよ)

と、単純にこのような「差」が出るわけですが、まさに聞き手によって受け取り方は千差万別になるので、
小学生が聞いても全然異なる受け取り方をするのが御言葉です。

けれども共通して言えるのは、御言葉=誰にでも該当する真理だから、個人の状況に合わせて御言葉を受け取り、実践するならば、その人の生においてより高い次元に神様が導いて下さり、生の次元を上げてゆけるようになっているということ。

結局、「よい言葉」的な本が途切れないのも、人々が真理を求めている証拠だと思います。
誰が、どういう状況で聞くかによって言葉の「次元」は変わるだけで。

だから

まずは「知っている」「聞いたことがある」という固定概念(既存性)を捨てることだと牧師さんは強調されました。
伝えて下さるのは、根本は神様だから、いつも新しい気持ちで聞いてこそ、言葉の持つ威力を自分のものにすることができるのです。

自分が絶えず「成長」するならば、次元が上がるしかない「真理の御言葉」があるのが、摂理の世界です。

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洒落感と抜け感のあるエフォートレスな信仰生活を目指しています多分。スイマー&おしゃれ信仰生活推進委員。仕事は貿易事務。絵を描いたり写真を撮ったり、クリエイティブなことが好きです。