ネパール人との格闘を通して学ぶ「言語疎通」のむつかしさ

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貿易事務の仕事で、アジア、アフリカ、中東、EU…色々な国の人とやりとりをしますが、色々な国のフォワーダー(メーカーなどの輸出者に代わって輸出業務を代行する業者。Solもコレ。)がいるもので、
先日はネパール人男性からいきなり電話がかかってきました。

ネパール人(以下「ネ」):「ヘロ?」

S:「Hello? Could I have your name please?」

ネ:「アー・・ウィウォントゥノウイフウィキャンウォルクウィズユアエイジェント・・」

S:(発音がインドなまりっぽかったので)「Are you calling from India?」

ネ:「ノノ!ノットインディア!ネポー!ネポー!!」(←インド人と一緒にするなという怒りも込められている)

その後も何やらベラベラ話してきましたが、なまりが私が過去出会った中で最高に激しく、わたしでは太刀打ちできず、米国帰りの先輩にタッチ。

先輩も太刀打ちできないと感じたのか、メールでやりとりすべくアドレスを教えていたけど、何度も「ジェイ、ピィー、ドッ、コム!」とスペルを繰り返していたのが印象的でした。

そしてアツく電話対応する先輩を見ながら、
こんな御言葉を思い出しました。

ネイティブスピーカーがいくらその国の言語が上手でも、聞く人がその国の言語を知らなければ、ネイティブスピーカーが話す言葉を聞き取れない。
またネイティブスピーカーがいくらその国の言語が上手でも、相手が発音をちゃんとできなければ、ネイティブスピーカーも相手が話す言葉を聞き取れない。

神様の前で人間もそうだ。

言語も疎通してこそ、お互いの意思疎通ができるというもの。
人間も、神様の前で、神様が理解できるようにふさわしく伝え、表現しなければなりません。

もっと神様が人間におっしゃっていることを理解したい。

 

2016年10月26日 <人間の行ない>が「言葉」になって神様の耳に聞こえる。

P.S. 写真はインドです。

ABOUTこの記事をかいた人

貿易の仕事をしながら摂理の教会に通っています。スイマー・おしゃれ信仰生活推進委員。今ハマってるものはインテリア。インターネットが好きです。