「営業」は「1人」で仕事をやっていない

johnmaster (3)

職場で常々感じていることです・・。

「花形」ともいえる営業(マン)は1人で営業しているのではない。

Solの仕事は輸出入の貿易事務ですが、担当のお客様を訪問したりすることはあっても、いわゆる「営業活動」は営業担当者さんが行ないます。

この仕事は、実務的な部分でのお客様へのインパクトが大きいので(例えばメーカーで商品を輸出するとなると、「通関」という専門業務が必要になるのですが、書類や貨物に不備があったりすると訂正や質問をしたり、船や飛行機に遅延があるとその都度お知らせしたり)、営業だけやっていてはお客様の細かなニーズに応えることができません。

案件をとってきたとしても、持続的なリピートにつなげるには、リサーチ、広報、営業サポート事務など、営業という「表」の姿からは見えない、実に「裏」の働きが大きかったりします。
これは、自身がやると本当によく分かります。

人の前に立って目立つ仕事だけを大きく思う人がいるが違う。また自分がうまくやっているから前に立っていると勘違いするが、それは危険な考え方。天の前では小さい仕事、大きい仕事というものは決してない。
<すべきこと>をしないと存在できないと言った。つまり仕事によって存在する。どんな小さい仕事だとしても、任された仕事を尊く思い、忠誠を尽くすことが大切だ。

これは、11月2日にポンソク牧師が伝えて下さった御言葉。

光が当たりがちな、会社の花形でもある営業職ですが、営業に必要なものを提供したり、アドバイスをしたり、セッティングをしたり、はたまたクレーム対応をしたり、営業って決して1人でやっているものではないですし、またその「結果」も、根本的には1人で出しているわけではありません。
「裏」の仕事が本当に大きいです。

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信仰生活もこのように、
小さなことだとしても自分の位置をしっかり守り、任された仕事を行なうことが、全体での「結果」につながるのだと思います。

<全体>のために「山」も造り、「平地」も造り、「絶壁」も造り、「水の地域」もお造りになった。
自分がやる分だけやればいい。全体がやるから結局、各自自分のすべきことを全ておいて、見たら「全体の調和」になる。

 

2016年12月1日 摂理・箴言の御言葉

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摂理の日常を描いてます。社会人で導かれ教会に通うようになりました。宗教や信仰を身近に感じてもらえたら嬉しいです。スイマー・おしゃれ信仰生活推進委員。今ハマってるものはインテリア♪インターネットが好きです。