写真が表すのは「写真」ではなく「人」

先日、お昼の休憩中たまたま撮った空の写真を母親に送ったところ返ってきた言葉。

写真とても良かった。
「良かった」というのは、写真そのもの…というより、お昼にこんな時間を過ごしているんだな、心にゆとりがあるんだな、自分もそんな生活をしたいなと思ったということなの。写真にSolが見えた。

これは、本当に本質をついてるというか、
まさに最近、感じていたことでした。

キレイな写真なんていくらでもあるけれど、「キレイな写真だね」で終わるか「もっと見たい」と思わせるかどうかは、写真を通してみえる「その人」の生なんですよね。

こんな視点で物を見てるんだとか
こういうのが好きなんだとか
きっとこのような生活してるのだなとか
写真一枚から、結構、想像できてしまうもの。

そこに共感や憧れのような感動が生まれた時に、その人の「ファン」になるのだと思います。

だから私が最終的に惹かれるのは、
写真そのものというよりは、
写真を通して現れる「その人」だったりするわけで、技術はそれをより効果的に伝える手段に過ぎないなと。

食べ物も「一つ」だけ食べてみれば分かる。
人も「その行ない一つ」だけ見ても分かる。
血液型も「一本の指の血」だけ検査をしてみれば分かる。

写真一枚から、分かるんですよね。
もっと言うなら、選ぶ言葉ひとつからも分かる。

だから何かを表現する場って
生を証する場でもあって

その中で本当に分かり合える人と
分かり合っていきたいなんて、思うこの頃。

 

2017年1月26日 摂理・箴言の御言葉

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摂理の日常を描いてます。社会人で導かれ教会に通うようになりました。宗教や信仰を身近に感じてもらえたら嬉しいです。スイマー・おしゃれ信仰生活推進委員。今ハマってるものはインテリア♪インターネットが好きです。