ひとつを極めない生き方

<一人、一つ>を神にするな。<全体>を神にしなさい。

あらゆることにおいて、
「ひとつを極める」ことが善しとされる傾向にあると思います。
善しとまでされなくとも、
専門性が突出するのがカッコいいみたいなイメージ。

労働での分業体制や専門性、
学問で早々に専門性を極めることも
その典型かもしれません。

でもすべての人がそのようにスペシャリストになれるわけではないし、むしろ専門性を早々と突き詰めるあまり、教養が疎かになったり、「他のこと何も知らない=使えない」人材になってしまうことだってあり得ます。

その面においては人より詳しくなっても、
常に他のことも見る視野の広さを持とうとしなければ、
そこで終わってしまうなと、
専門職に就きながらも感じます。

<一人の人の土地>にばかり続けて雨が降ったらむしろ「穀物の農作」がだめになることと同じだ。

それはまるで、ひとつの土地にばかり雨が降るようなもので、全体の収穫が崩れることだと御言葉ではおっしゃいます。

身体も、一部分だけケアするからといって、必ずしも良くなるわけではないですものね。

<一人、一つ>に「天の愛」をすべて与えたら、価値も分からず、手に負えなくて、世の中に流れるようになる。

信仰生活もそのように
何かひとつのことだけをしていては
そこに溺れて世の中に流されてしまうというもの。

全体をみる視野の広さをみにつけたいものです(・ω・)ノ

 

2017年2月28日 摂理・箴言の御言葉

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キリスト教福音宣教会(通称:摂理)のブロガー。普段は総合職で海外とつながるお仕事。女性の社会進出に興味有。漫画を描いたり写真を撮ったり泳いだり、多趣味極まりない感じで、色んなものが飛び出します。