「真心」は「切実さ」

真心を込めるということは、
それだけの労苦と努力が入っていることをいう。
すなわち、心と思いと命を尽くすということだ。
言い換えると、切実に行うということだ。

これは、目からウロコな御言葉。

「真心をこめる」とはよく言うけれど、
なんとなく「嬉しい心でする」とか「気持ちをこめる」とかやんわりしたイメージがありました。

でも根本は「切実さ」なんですね。

切実さの現れとなるのが、真心だ。
すなわち切実に行うから、
何をするにしても全ての真心を注ぐしかないのだ。

これはそれだけ切実だということだ。
その切実さがある人は、何をするにしても真心を込めて行う。
すなわち瑕なく最善を尽くすということだ。
だからそのような精神を通して完全になるのだ。
このようなわけだから、完全な神様と通じるようになる。

確かに、真心があふれた状態って、何かしら切実な思いでやっていることが多いです。

最近は、ちょっと体調が優れなかったけれど、対話したメンバーが「本当に癒された」と言ってくれて、時間を出して良かったと思ったり。

プレゼントひとつにしても、
目的は喜んで力を受けてもらうことだから、
それは言いかえると「この人にこうなってほしいな。それによってまわりの雰囲気もよくなるといいな。」という切実さだと言えるのかもしれません。

あなたたち摂理人の中でも
仲むつまじく過ごすことができる秘訣があるが、
それは互いに対する真心だ。
つまり、片方の一方的な真心ではなく、
互いに相手に対して真心を注がなければならない。
そうしてこそ、それによって互いの心の門が開いて和睦を成す。

「実践」の根本はまさにこの「真心」なのだといいます。

言いかえるなら「形式」は、
切実さがない状態なのでしょう。

「真心」で行なっているのか
「形式」で行なっているのか
「切実さ」をもって点検していきたいです。

 

摂理の御言葉:「何をするにしても真心を込めてしなさい。 そうしてこそ完全に最後までできる」

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洒落感と抜け感のあるエフォートレスな信仰生活を目指しています多分。スイマー&おしゃれ信仰生活推進委員。仕事は貿易事務。絵を描いたり写真を撮ったり、クリエイティブなことが好きです。