写真の役割

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以前、こんな御言葉が伝えられました。

<写真>は生命力がない。「該当する人の実物」を思い出すようにはするけれども、「現実感」を与えることは不可能だ。

写真好きとして、若干絶望的になる御言葉ですが、本当にそうだよな…と思いながら聞きました。

「現実感」を与えられなくはないけど、
リアルにそっくりそのまま与えることは、できない。

戦争に関する写真なんか、まさにその典型かもしれません。

自分も含め、みんな、すぐに忘れてしまいます。

<銅像>は「写真」よりはもっと実感が湧くけれども、それもやはり生命力がない。ただ「実際のその人」を思い浮かぶようにし、感じるようにする役割をするだけだ。
<肉の目で直接見ることができない人>を実感が湧くように見ることのできる方法があるが、霊の世界に入って<魂と霊の目>で見ることだ。

実際に目で見えないものは、写真や銅像をきっかけとして「考え」の目でもっと深くことが必要なのだといいます。

そうすると、夢に出てきたり、幻をみたり、考えにふと浮かんだり、より実感が湧くようになるのだとか。

私の写真も、神様についての「考え」を深めるためのツールとして用いていきたいし、そのような役割を御心通りに果たせたら、とても嬉しい。

 

2016年9月8日 箴言の御言葉

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キリスト教福音宣教会(通称:摂理)のブロガー。普段は総合職で海外とつながるお仕事。女性の社会進出に興味有。漫画を描いたり写真を撮ったり泳いだり、多趣味極まりない感じで、色んなものが飛び出します。