モデル選びのむつかしさ

最近、ポートレート(人物)を撮影したいなんて考えたりするのですが、そこで思うのは、モデル探しって難しいなということ。
厳密には、私が撮りたいと思うイメージに合うor理解してくれるモデルを探すのが簡単ではないなと。

まぁ特に告知したり積極的に探したりしているわけではないので、理解も何もあったものではないのですが、にしても、いざ自分で選ぼうとすると、なかなか見つからないものだなぁと感じています。

何が困難かというと、
私の意図に合わせてポージングや表情をつくってくれる人を探すのが結構難しいだろうなと。

いくら容姿端麗でも

「私をかわいく撮って撮って!」
みたいな人は主張が強すぎるからやりにくいし

「写真好きなんでしょ?だったら撮らせてあげるよ☆」
みたいなのもちょっと・・。

求めるのは

・「自分」がない人
・私の意向に合わせてくれる人
・私が撮りたい写真を理解してくれる(くれようとする)人
・忍耐強く一緒に「作品」をつくってくれる人

こんなところでしょうか?

正直、モデルなんてちょっとキレイで可愛ければ誰でも勤まるのかと思っていたけれど、いざ自分が探すと全然そうじゃないと感じます。
良いモデルは、撮影者が撮りやすい&もっと撮りたいと思わせるツボを心得ているのだと思う。
個性があるけどない、そんな感じ。

そしてこのことを考えながら思ったのが、
これって神様と人間の関係にもまったく当てはまるということ。

よく御言葉で
「自分を捨てなさい」と言われるけれど、
自分が撮影者になるとこの言葉を一層かみしめます。
どれだけ「撮影者」である神様の意向に、
自分は合わせられているだろうか?

<三位に委ねた人>は「三位の車に乗って行く人」と同じだ。
<三位に委ねていない人>は「自分の考えで、一人で歩いて行く人」と同じだ。

神様が撮りたい「角度」があるのに、
「私はこちらから撮ってほしいです」
ということが、何たる「無知」であろうか…。
いや、その角度じゃないから、みたいな…。

話はずれましたが、そもそも「アンタが撮りたい写真なんて分からないよ!」と言われそうなので、インスタでも見てもらって、「あ、この雰囲気に溶け込みたい」という方がいたら、こっそり連絡ください(笑)

写真にまつわる雑感。

 

2017年3月10日 摂理・箴言の御言葉

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ABOUTこの記事をかいた人

自遊人です。ブログ書いたり漫画描いたり写真撮ったり。社会人になって摂理(キリスト教福音宣教会)に出会い、貿易実務の仕事をしながら信仰生活をおくっています。ブログはそんな日々の生活を、つれづれと。摂理や宗教のイメージをおしゃれにステキに変えることが目下のミッション。よく泳いでます。