「1分間」を善に使うか、悪に使うか

殺人をするには、1〜2分あれば十分だと聞いたことがあります。

よく「カッとなって殺してしまった」なんて言いますが、このほんのわずかな時間で、悪なる方向に超人的に力が働くのが人間。

そんな事件が、後を絶たないです。

殺人をした人たちの話を聞いてみると、1~2分のうちに血気が出て殺したと言う。血気が出たので、超人のように力が湧き出て殺したと言う。

よく考えてみたらすごい…

なんて感心してる場合ではなく、
本当に人間として、残念なことだと思います。

その後、数百万倍、数千万倍、
罪の代価と苦痛を受けてしまうのですから。

でも、裏を返せば、善なる方向にも超人的になれるということ。

善なることも、極的なことは1~2分行なって数年、数十年間有益になり、祝福を受けて生きるようになり、霊では数兆倍、祝福を受けるようになる。

<極的な善なること>とは「神様が指示なさった極的なことを行なったこと」であり、「他の人ができなかった義なることをやり遂げたこと」であり、「命を生かし、主を証したこと」であり、「主の中で命を尽くして行なったこと」だ。

悪がサタンの指示するところなら、
善は神様が指示なさったこと。

この方向にベクトルを向けるなら、
ものすごい力がわき起こるはず。

殺人者は、いきなり殺人者になるというよりは、日頃から恨み辛みやストレス、病んだ状態であってこそなるものですが、だったら単純に「善の超人」となるためには、その逆をすればいいということ。

「1分」を殺人なんかに使うのは間違っているけれど、
こんなふうに対極的な方向になら、ぜひ使ってみたい。

 

2017.3.28 摂理・箴言の御言葉

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キリスト教福音宣教会(通称:摂理)のブロガー。普段は総合職で海外とつながるお仕事。女性の社会進出に興味有。漫画を描いたり写真を撮ったり泳いだり、多趣味極まりない感じで、色んなものが飛び出します。