「仕事」が「遊び」になる時代②

昨日、「好き」を「仕事」にすることは誰でも可能な時代だということを書きましたが、今日はそれが、人間にとっての「理想世界」であることを書きたいと思います。

こんなことを書くと、「世の中そんな甘くない」とか言われそうなので、共感する方だけどうぞ…。

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極論を言うと、私は誰しもが「遊んで暮らす」ことができることが人間と神様にとっても、最高の理想世界だと思っています。

ここでいう「遊び」とは、貴族的に優雅な暮らしをすることや、働かずにただゲームやショッピングで「遊ぶ」ことを指しているのではなく、「個性と才能に応じた仕事」をしながら働いて暮らす、ということ。

自分の個性にしたがって賦与され、やるべき「仕事(使命)」がそのまま「遊び」である世界こそが、太初のエデンであり、そこに暮らしていたアダムとエバ、人類の姿こそがまさに「遊戯する人間(Homo Ludens、ホモ・ルーデンス)」であったに違いありません。事実、創造した人間に対して神が賦与したミッション(使命でもあり3大祝福でもある)は、「生育、繁栄、万物主管」でした。

よく、流行りの本でもありますよね。
「短所でなく、長所を伸ばせ」と。

みんなが「好きなこと」をそれぞれ活かしながら生きることができたら、とても幸せで楽しいと思うんです。

良い大学に行き、良い会社に行こうとするのは、食べて生きることに困らないように。でも今は食べて生きることを心配する時代ではない。
やるべきことを仕事にするのではなく、自分が好きで、楽しめること、やりたいことをやって生きるのが幸せだと言える。20170421ポンソク牧師の御言葉)

本来、人間に与えられている機能というのは、繰り返しでマニュアル化された単純労働ではありません。
AI(人口知能)が発展して、そのような「仕事」はやらなくても済むようになってきています。

成長し、繁栄し、万物を顧みながら良い物を食べて生きなさいとおっしゃったのだから、このように遊んで食べて暮らす「最高の職」が他にありません。本来、天が賦与してくださった「遊び(Entertainment)」だったはずが、一生労苦し、汗を流してやっと食べて暮らせる「労働(Labor)」に変わってしまったことこそが、堕落によって自らが招いた刑罰の本質なのです。

長い間、労働=労苦を伴うものでした。

でも、労働の本質は、そうではない。
本来、人間はもっと個性豊かに生きることができる存在なはずです。

自分の<体>を悟りなさい。(摂理の箴言)

じゃあそもそも自分の「個性」や「好き」が何かすらよく分からないという人もいます。
そういう人が、大半ですし、でもそれって自分を最高に輝かせる「宝石」のようなものだから、簡単には見つかりません。
早期で見つかっても、それをおさめることができなければ「幸せ」が保障されるわけでもありません。

私も、まだ模索途上です。

でもそれを探す旅、見つける旅が摂理にあると確信するから、わくわくしながら、今日もブログを更新します。

 

引用:摂理公式サイト・マンデーより

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ABOUTこの記事をかいた人

ブログを書いたり漫画描いたり写真撮ったり自由に生きてます。社会人になって摂理(キリスト教福音宣教会)に出会い、貿易実務の仕事をしながら信仰を持つようになりました。ブログはそんな日々の生活を、つれづれと。摂理や宗教のイメージをおしゃれにステキに変えることが目下のミッション。よく泳いでます&おもしろいことが好きです。