水泳の習慣から学ぶ「ちょっとだけ」の大切さ

週2ペースで泳ぎに行っているSolですが、
先週、肩が痛くなって、
行くのをやめようと思った日がありました。

実際、痛いのに泳ぐと悪化することがあるので、それを考慮しての判断だったのですが、次第に泳ぎに行かないから身体の他の部分が疲れてしまってきて、身体が鉛のように重くなっていくのを感じました。

でもこの日、母親と夕ご飯を食べて、
元気になってきたから「行こう」と思って(摂理ではこういうのを「聖霊様の感動」とか言ったりします)、夜21過ぎからでも行くことに。
30分、超スローペースで1,000mくらい泳いで、いつものようにジャグジーとサウナに入って帰ってきました。←もはやジムというよりスーパー銭湯…

実はこれ、個人的に結構、革命的なことで、
というのも、これまでは0か100かって感じで、
中途半端に泳ぐぐらいなら行かないスタンスだったのです。
2,000m以上泳がないと泳いだ気がしないから行かない、みたいな。

でも もう若くないこともあ 今回、少しだけでも泳いだら身体がすごくスッキリ・ラクになるのを感じて、「ちょっとだけ」でも、決めたペースを続けて行うって大事だし必要なのだなぁと。
「行かない」ことが「ラク」な道かと思ったら、実際は違っていたことに気づかされました。

人間は<考え>から「習慣」が来るから、<考え>から忘れたら、「習慣」も素通りして、できません。
<考え>から「習慣」が来ることもあるし、<考え>から「習慣」を捨てることもあります。
<考え>が「すべての根源地」です。
だから初めから<考え>に「悪い習慣」が来ないようにし、習慣づいたならただちに直さなければなりません。

少なくとも水泳において、
0か100かという極端な考え、直します…。

でもそれ以上に悟ったのは、
御言葉を聞くことも「このようにこうだ」ということ。

疲れて御言葉を聞く気がしない時があっても、
集中して聞けないからダメなんじゃなくて、

ラクに泳ぐように、
「ちょっとだけ」でも頑張ってみたら
いいことあるし変化するなって、

ポジティブに考えの習慣を変えていこうと思いました。

 

2017年7月23日主日の御言葉:「間違った習慣と癖は悪癖病だから直しなさい」

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洒落感と抜け感のあるエフォートレスな信仰生活を目指しています多分。スイマー&おしゃれ信仰生活推進委員。仕事は貿易事務。絵を描いたり写真を撮ったり、クリエイティブなことが好きです。