得ることと責任分担

何かを得るって、
一見嬉しいことばかりのように思えるけれど、
それが大きければ大きいほど、
意外と労苦が多いものだと感じる。

たとえば高価な装飾品をもらったら、
それに見合う服を用意しなければいけないし、
維持管理をしなければいけないし、
何より自分のメンテナンスをしなければいけない。

地位や名誉をだって、
大きければ大きいほど、
人々の期待も大きくなるから
緊張感を持ち続けなければいけないし、
「失敗」も許されなくなる。
何より根本的に、人の評価ではなく、
自分を貫き通す芯を維持する必要があるから、
これは、本当に難しい。

ただ「羨ましい」という人は、
その位置に行ったことがないから言えるのだ。

私は「主を知る」というあまりに大きなプレゼントを生で得た。
チョンミョンソク先生を通して神様を知れたこと。
知れたばかりでなく、先生と共にこの時を過ごせること。
これは、お金では絶対に買えない宝物だ。

でも正直、ただ嬉しいことばかりじゃない。
知ったからには、伝える責任があるし、
語り継ぐ責任がある。

また人間として目指すべき姿を教えてもらった。

これは、ダイヤモンドを得るよりも、
維持管理が難しい。
自分と徹底的に向き合わないといけないから。
宝石箱に隠しておくことはできない。

やましいことやうしろめたいこと、
良心に背くことがあれば、バッサリ切って、
先生のような人格を持って生きることが推奨される。

ハードルが高すぎる。

でもそれだけ、得ているものが大きいから、
それを自分のものにするためにもがいて努力するし、
時には涙することもあるけれど、
その過程もいきさつになり、神様は覚えて下さる。

最高じゃない?

改めてこのように文章にすると、
ものすごいものを得ているのだと思う。

だから得たからには、
最も得て嬉しいこの時に、
すべきことを行なって、
最高に走れたらいいと思う。

ABOUTこの記事をかいた人

キリスト教福音宣教会(摂理)のブロガー。漫画を描いたり写真を撮ったり。日常のことや信仰のことをつれづれと描いてます。趣味は雑貨集め。スイマー。おしゃれ信仰生活推進委員。今ハマってるものはインテリア♪