私のことは嫌いでも摂理は嫌いにならないで下さい

摂理で信仰生活を送っていると、
当然ながら色々な人と接することになります。

生活の中で、教会の中で、
使命の中で、本当に、
一人で完結することの方が少ないのでは?

一人で完結できたとしても、
それ以上のことをやろうとすると、
必然的に人と関わることになります。

正直、信仰をもっているからと言って、
いつも順風満帆というわけではなく、
時に意見が違ったり、
何気ない言葉で人を
傷つけてしまったり、傷ついてしまったり
誤解や食い違いが生じてしまったり、
そういうこともあるわけです。

その思いが積もりに積もってしまうと、
信仰を持つことに自信がなくなることも
あるかもしれません。

でも私たちは神様ではないから
そういうことが起こる方が自然で、
だからこそ、そこで一旦立ち止まって、
キリストの精神に立ち返って、
自らを完成させていくことに
フォーカスするほうがよほど重要です。

この点について、
興味深い話が今朝伝えられました。

誰かに何かを言われたから
出て行くと考えるのは間違っている。
(嫌な思いをしたとしても)
「バカヤロー!この畜生!」といってでも残った方がいい。

これ聞いた時、笑ってしまいました(笑)
韓国人はこのような人が多いのか…?
少なくとも人間関係は、日本より激しそう…。

日本人は、何も言えず辛くなるタイプだけど、
韓国人は、ストレートすぎて収集つかなくなるタイプ。

中間くらいに自分をつくるのがよさそうですが、
重要なのは、人ではなく、
神様を見なければいけない
ということ。

神様との愛を成すために摂理にいるのだから、
人の言葉につまづいて、
摂理そのものを嫌いになったり、
不信したりするのは間違ってる
ということです。

それは神様から人間を離れさせようとする
悪霊サタンの戦略。

言うべきことはキチンと言った方がいいし、
引くべきところは引きながら、
バランスをみて人と関われたら最高ですよね。

信じて従うべきは、御言葉ひとつです。

天からみたら何でもない小さなことで、
神様からはなれていくのが、
神様は一番、悲しい。

人はうつり変わりやすい生き物だから
心に留めておきたくて、
備忘録も兼ねて書いてみました。

んで、
私の言葉につまずいても、
摂理にはつまずかないで下さい。

ABOUTこの記事をかいた人

キリスト教福音宣教会(摂理)のブロガー。社会人で信仰を持つようになり、普段は漫画を描いたり写真を撮ったり。日常のことをつれづれと描いてます。趣味は雑貨集め。スイマー。おしゃれ信仰生活推進委員。今ハマってるものはインテリア♪