できないことをやってこそ

最近、メンバーと「信仰のマンネリ化」について話していました。

新しい人は信じられないかもしれませんが、
信仰ってマンネリ化するんです。
よく恋愛でも「恋愛のマンネリ化」と言ったりしますが、それと同じです。

信仰リズムがパターン化してきたり
ずっと同じ使命をやっていたり
教会に行くことが形式になってきたり
「こなす」感じになってきたり

やることはやっているのに、
なんか力受けないな…みたいな。

あるメンバーは、すごく色々できる子なのですが、
色々と一定水準以上のところまではやり尽くしたところがあり、
次に何をしていいのか分からない、
やってないわけじゃないけど、
やれることをやっているだけだから次元が上がらないのだと思う
と言っていました。

それはたとえるなら、
「料理の腕を上げたい」と思っても
いつも同じメニューばかりつくっているようなもので
絶対、上がらないのと似ています。

じゃあどうしたらいいかというと、
答えはシンプルで、
違う料理を作ること。
つまり、やったことがないこと、
できないことに挑戦すること
とも言えます。

摂理はどんどん新しくしていく場所なので、
この「新しいことに挑戦していく」感覚を持って走らないと、
辛くなってしまうこともあるようです。
やらない方がラクに思えるかもしれませんが、でも実際は逆。
やった方が、楽しくてラクなのです。

この精神を持ち続けることができるかどうかが、
ある意味「実力」だと、
年数が経ってくると、実感せざるを得ません。

<聖霊の御心>があり<目的>があれば、「本人が好きになるようにして」行うようにさせる。その土台の上に「聖霊」が働きかける。

特に何も思っていなかったことも、
神様の働きがあれば、好きになることも。

具体的に何をしたらいいかは、
深く祈って実践する中で、必ず見えてくるはず。

私も日々、挑戦です。

 

2019.9.23 鄭明析牧師の明け方の御言葉

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摂理の日常を描いてます。社会人で導かれ教会に通うようになりました。宗教や信仰を身近に感じてもらえたら嬉しいです。スイマー・おしゃれ信仰生活推進委員。今ハマってるものはインテリア♪インターネットが好きです。