「使命がない」と言わないで

摂理で信仰生活をしていると、
様々な「使命」を目にすることがあります。

聖歌隊、歌手、講師、指導者など、
目に見える使命から、総務や財政など、
裏方の使命まで様々です。

使命は、その仕事のために備えられた心や精神がある人に、神様が任せるのだとも言われます。

でも、いわゆる「使命」のようなものがなく、
何もできない、摂理での存在意義がないと感じてしまう人も、
少なからずいるようです。

…てか数年前の私なんですが^_^;

そんな人に向けて、御言葉ではこのように伝えられます。

何もしなくても、教会に来ることだけでもすべきことだ。仕事だ。必要なことだ。
「私はやることがない。助けにならない。」と思わず、
熱心に教会に通うことが、主の助け、主の喜びだ。

言われてみれば、確かに…なのですが、
つい、まわりと比較してしまったり、
「できないこと」に注目しがちな日本人としては、
忘れがちなこの視点。

御言葉ではさらに、
このようにおっしゃいます。

まずは(教会に通って)個人一人を完全に成長させ、つくることだ。
自分の救いを成し、栄光を期し、すべきことをすることだ。

神様の「恋人」として「最もすべき仕事」は、
自分をふさわしくつくり、
愛することだとおっしゃいました。

「神様を愛する使命者」が私たち。
愛することが「使命」なのです。

いわゆる教会での「使命」は、その延長上にあるのだと思います。

自分が成長して「もっと神様のために何かして差し上げたい、して差し上げよう!」と思う心からやったとき、「使命」は自然とついてくるものだと、思います。

 

2019.10.1 鄭明析牧師の御言葉

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摂理の日常を描いてます。社会人で導かれ教会に通うようになりました。宗教や信仰を身近に感じてもらえたら嬉しいです。スイマー・おしゃれ信仰生活推進委員。今ハマってるものはインテリア♪インターネットが好きです。