
今日は、牧会者さんとランチをしました。
牧会者さんとご飯というと、
緊張する印象をもたれる方もいらっしゃるかもしれませんが
摂理の牧会者さんはフランクな方が多く、
親しいお姉さんのような感覚でお話できたりします^_^
今、私はメンバーと一緒に住んでるので、
共同生活はどう?という話から、
お仕事の話や母親の話、
牧会を始めるようになったいきさつの話など、
色々なお話をしました。
その中で、特に印象に残ったひとことが、
各自の位置で、御言葉を実践することが霊的なこと。
御言葉は、毎週、平等に与えられる。
それをその週、どれだけ実践できるか。
牧会者だからといって、何か特別な御言葉を聞いているわけではない。
ということば。
神様からご覧になったとき、
教会で内的に働く人もいれば、
社会に出て外的に働く人もいる。
個性や才能もそれぞれ違う。
重要なのは、それぞれ任された位置で、
どれだけ主日の御言葉を実践できるかということ。
それを行うことが、霊的なことだということ。
牧会者だからどうというわけではなくて、
実践する「肢体」の位置が違うだけ、だと。
淡々と語るその言葉には、重みがありました。
言われてみれば、その通りなのですが、
ハッとさせられました。
つい牧会者というと、特別な目で見がちになりますが、
その位置で実践するかどうかが重要なのであって、
それ自体の肩書きにとらわれるのは違うことだと。
ちなみにランチをした牧会者さんは、
まさか自分が牧会をするとは思っていなかったそうです。
むしろ向いてないと思っていたそう。
摂理に来てから10年、芸術の使命ばかりやっていて、
教会内部のことや講義はほとんどしていなかったというのだから驚きです。
でも主のために生きようと決心したとき、
色々な流れが変わったそうで、
変化の根本は愛だということを、話を聞きながら感じました。
<愛>なしには「婚宴の歴史」を行なえません。「絶対愛」でなければなりません。
何よりも、誰よりも、<神様と聖霊様と御子主>を一番大切にし、敬い、喜び、何よりも<神様の新しいこと、婚宴の歴史>を大切にし、愛して生きなければなりません。
このようにするとき、<神様と聖霊様と御子主>と「愛で一体」になって、<愛>が「食べ物」になり、「喜悦」になって、<もっと理想的な理想世界>を成して生きるようになります。
今はそれぞれの位置で、
神様との愛を成していく時代。
私も自分の位置をみつけたい。
2019.10.6 主日の御言葉