異端宗教に引っ張られる夢

久しぶりに、霊的な夢を見た気がします。

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ある日、私は、教会にいたのですが、
知らないおばさんと若い女の人も一緒にいました。
そのおばさんは、私を見ると、
「こういうのあるわよ」と言わんばかりに、
自分の教会のことを話し始めて、
摂理の御言葉と似たような話をしてきました。

私は、なんだか摂理で分からなかったことが、
分かるような気持ちになってきて、
そうしたら場面がそのおばさんの教会になり、
摂理の歌を礼拝で歌っていたのです。

しかし私は、特に違和感を感じず、
聞き覚えのある歌だったので、
むしろおばさんの教会に親近感が湧いている感覚でした。
自分の教会に帰ってから、
牧師さんに一連の出来事を話したところ、
牧師さんが、まずいと思ったのか、
私に、おばさんが異端宗教であることを話してくださり、
私はハッとして我にかえりました。

でもその時から、おばさんは、
礼拝で私を待ち伏せするようになり、
牧師さんがおばさんに対応しようとすると、
隣にいた若い女の人が私を勧誘しようとする、
そんな夢でした。

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聖書では「異端」という言葉が、度々、出てきます。
「端が異なる」と書いて、異端。
つまり、99%は正しいことを言っていても、
最後の結論1%が、神様の道からそれたことを話すのです。
「偽物」とでも言えるでしょうか。

しかし、民の間に、にせ預言者が起ったことがあるが、それと同じく、あなたがたの間にも、にせ教師が現れるであろう。彼らは、滅びに至らせる異端をひそかに持ち込み、自分たちをあがなって下さった主を否定して、すみやかな滅亡を自分の身に招いている。
ーペテロ第二の手紙2章1節

「本物」が出てこれば、
「偽物」が必ず出てくるものです。
それは、本物になりすまして、
その益を得ようとする偽ブランドのようなものです。

今週の、主日の御言葉は「私が話してあげよう」でした。
「私」とは、聖三位であり主でありキリスト。

なぜ、ここまで今「私」を強調するのだろう?と思っていたのですが、
この夢のようなことが、現実でも、霊界でも起こっていると考えるならば、腑に落ちます。

年末年始から「御言葉をもらった人は神になる」と繰り返し伝えられているのも、
「本物」の御言葉に固く立つことを天が望んでいらっしゃるから。
そうでなければ、揺れるから、「あぁ、もう見てられない。私が話してあげよう。」なのだと思います。
ひたすら「本物」であることを示唆している。

<異端>は「真理」と言って立ち上がって叫んでも、違う。<異端の宗教>は聖書どおりに行ってもいないのに、良い聖句を自分のものにして主張し、叫ぶけれども、彼らは「神様の御心」ではないので、最後まで行ってみるまでもなく、結局崩れ、なくなる。

伝道ができるかどうかの分かれ目も、
「本物」の確信を持ってハッキリ証できるか。

自分が御言葉を完全に分かって伝えてこそ、聞いた人も分別して確信を持つようになる。 御言葉をはっきり伝えてあげればあげるほど聖霊の御働きがさらに強く起こり、神様の神的しるしが起こる。

今年は、たくさん祈り、聖書もたくさん読みなさいとも伝えられました。
「聖霊と主の時代」と言われますが、この土台の上に、御言葉の光が放たれるのだと思います。

夢を通して、方向をつかみました。

背筋がピンと伸びるような御言葉ですが、
この状態で、仕事や生活をして証になれたら、素敵です。

 

2020.1.6&2 摂理の御言葉

ABOUTこの記事をかいた人

摂理の日常を描いてます。社会人で導かれ教会に通うようになりました。宗教や信仰を身近に感じてもらえたら嬉しいです。スイマー・おしゃれ信仰生活推進委員。今ハマってるものはインテリア♪インターネットが好きです。