御心(目的)は本人に知らせない

朝食カフェメニューからの連投になりますが、
私がこの一連の出来事を通して悟ったのは、
神様は、当事者に御心(目的)を知らせないで、無駄なく行うということ。

メニューの一番上と下の写真は、
私が撮影したものですが、
特にメニューを想定して撮影したものではなく、
うま〜♪と、ただ喜びを発するだけにツイートしたものを
料理の使命者が見つけ、
気づいたらメニューに使われていたという。

なんだそんなことかと思うかもしれないですが、
これ、事前に「メニュー用に撮影してほしい」だったら、
間違いなく主日には間に合わず、
このようにスムーズにいってないんです。

神様としては、
礼拝後カフェの簡易的なメニューができればいいだけで、
それなりに「ぽく」見えれば
凝った写真や労力はかけなくてもいいところ。

でももし、ここで最初からその目的を話されていたら、
私は、使命者?として、無駄に時間、労力、プレッシャーを自分にかけてしまうこと間違いないのです…。
ましてやメニュー表とか言われたら、
デザインやら配置やら、写真以外のことまであれこれ凝って考えたくなってしまう…。
それって、御心じゃないです。
すべきことは、他にある。

私はただ「ぽく」見える写真をスマホで撮って、メニューを作りたい人に送れればいいだけですが、
この送る方法も、LINEとかではなく、勝手に相手がツイッターを見て保存するという、何とも隠密な計画でした。
ツイッター、連絡くれた子に教えた覚えもなかったので、まさか見てるとは思わず…どこで知ったんだ。

つまり私がここで言いたいのは、
目的を先に知らせると、
あれこれ人間の余計な考えが頭をよぎり、
神様の御心(目的)が最短で達成されなくなる
ということです。

それって、どう考えても「無駄」。
真心といえば真心ですが、
本当に必要な「真心」なのか、
見極めて、切るべきものは、切らなければいけない。
特に、使命者意識が高いことほど、必要以外のことをしてしまう傾向にあると感じます。

そして、こういうこと、人生でも多くあると思うんです。
「目的」がないと動けないこともあるけれど、
「目的」にとらわれることで、成すべき御心が成せなくなる
ということ。
時に、目的がわからずとも、ただ天の感動に従っていくことが大事なのだと思います。
これは、本当に神霊にならなければ、分からない。

先生も、自分が今のような牧師の使命を行うとは、若い頃は、全く思わなかったそうです。

振り返ってみれば、自分の人生で「目的」通りにいったことなんて、
ほとんど皆無に等しいけれど、改めて、先を見つつも目の前の感動に従うことが大事だと思ったのでした。

また、ただのツイートから何か生まれることを願って、つぶやくことにするよ。

ABOUTこの記事をかいた人

摂理の日常を描いてます。社会人で導かれ教会に通うようになりました。宗教や信仰を身近に感じてもらえたら嬉しいです。スイマー・おしゃれ信仰生活推進委員。今ハマってるものはインテリア♪インターネットが好きです。