今週の主題は
御言葉と祈りで神様と聖霊様の武具を身につけなさい
「武装」というと、
なんだか仰々しい感じがしますが、
信仰的な「武装」は、
祈りと御言葉だと聖書でおっしゃいます。
神様の考えと離れないこと
と言えば分かりやすいでしょうか?
今は様々な技術も発展し、
目に見えることは満たされて、
神様のことを考えなくても済む時代になりました。
けれども、根本的に、
どのように生きたらいいのかという問いに
答えられる人は、多くはありません。
旧約聖書のアモス書に、
このような聖句があります。
主なる神は言われる、「見よ、わたしがききんをこの国に送る日が来る、それはパンのききんではない、水にかわくのでもない、主の言葉を聞くことのききんである。
彼らは海から海へさまよい歩き、主の言葉を求めて、こなたかなたへはせまわる、しかしこれを得ないであろう。
アモス書8:11-12
預言者アモスの時代、
多くの人々が神様から離れ、
偶像に仕え、好き勝手に生きていました。
その状況に胸を痛め、
神様が預言者アモスに語った言葉です。
そしてこの預言の通り、
イスラエル民族は国を失い、
400年、御言葉が途絶えることになりました。
神様の御言葉が途絶えたということは、方向を失ったことになります。どのようにすれば生きると言ってくれる人もいないし、その時は刑罰の期間を過ごします。(主日の御言葉より)
何だか昔の話に思えないのは、
私だけでしょうか?
それだから、悪しき日にあたって、よく抵抗し、完全に勝ち抜いて、堅く立ちうるために、神の武具を身につけなさい。
エペソ人への手紙6:13
「神の武具」である「御言葉」と「祈り」。
この両方を備えるならば、
これからの時代も希望で生きられると信じています。