「韓国」と聞いたとき、
何とも不思議な気分になったのを覚えています。
日も落ちて薄暗い部屋で、
何かが降臨した感じだった(笑)
漫画のとおり、私は当時、
「時代の最先端の思想」みたいなのを探していました。
学生時代、いわゆる意識高い系?として、
あれこれ「進んだ」活動はしていましたが、
根本的にそれがどこに向かってるかが分からず、
また「ハッピーになるため」と言う人は多くいましたが、
それがどういうことなのか明確に答えてくれる人もおらず、
やみくもにやっても、限界がくると思ったのです。
それは、穴の空いたバケツに水を注いでる感覚でした。
思想・哲学の本を読みあさっても、
過去のある地点においての「最先端」の思想や考えは分かるけれど、今の時代は、分からなかった。(そりゃそうだ)
でも、必ず今の時代にも、
そのような思想を伝える人はいると確信はありましたし、その流れに合わせてこそ、うまくいくと思っていました。
それは、歴史が証明していたので。
だから、とりあえず働いて、お金を稼いで、
海外の院にでも行けたらと思っていました。
これからは、アジアの時代だから、
アジアの学者か誰かかな…と考えていたので、
「韓国の牧師」と聞いたとき、
「そういう人がいてもおかしくないな」と。
そしてついに2011年11月頃、
摂理のメンバーに会うことになったのです。
つづく…