我々が得て享受して生きるのは、すでに神様が立てた中心者と先祖たちが神様に約束をもらって、その約束したものを得たので、我々が使い、享受するのだ。
2010年8月14日 鄭明析牧師の御言葉
旧約聖書と新約聖書。
この「約」って何でしょう?
翻訳の「訳」じゃないですょ。
これは、神様と人間の間で交わされた「約束」を指します。
では旧約時代の「約束」は何でしょう?
それゆえ、主は自ら一つのしるしをあなたがたに与えられる。見よ、おとめが身ごもって、男の子を産む。その名はインマヌエルととなえられる。旧約聖書・イザヤ書 7章14節
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わたしはまた夜の幻のうちに見ていると、見よ、「人の子」のような者が、天の雲に乗ってきて、日の老いたる者のもとに来ると、その前に導かれた。彼に権威と光栄と国とを賜い、庶民、諸族、諸国語の者を彼に仕えさせた。その主権は永遠の主権であって、なくなることがなく、その国は滅びることがない。旧約聖書・ダニエル書 7章13~14節
これらの聖句は、救い主であるイエス・キリスト生誕の預言の一例です。
旧約時代の約束とは「メシアをおくる」という「約束」でした。
旧約聖書には、イザヤやダニエルなどたくさんの預言者たち(「中心人物」とも言います)が出てきますが、彼らが神様と約束を交わし、物語の随所にこうしたキリスト降臨の預言がされているのです。
言い換えるなら、旧約時代の4,000年間、神様は預言者たちを通してメシア降臨を迎えるために「準備」をさせた期間とも言えます。
神様は働きかける将来のために、中心者や時代の表象者に先にその地に伏させ、踏ませる。だからその地に先に伏し、先に踏む人に与えると約束なさるのだ。2010年8月13日 鄭明析牧師の御言葉
では「新約時代」の「約束」って何でしょう?
新約聖書の最後の聖句がヒントです。
これらのことをあかしするかたが仰せになる、「しかり、わたしはすぐに来る」。「アァメン、主イエスよ、きたりませ。」
ヨハネの黙示録22章20節
この話は、また別講義にてお伝えします( ・ω・)ノ