神様と聖霊様と御子は、私たちの肉と霊が怪我をしないように、害を受けないように、死なないように、前もって感動を与え、だめにし、止める。(2015年4月1日 摂理の御言葉)
God, the Holy Spirit, and the Holy Son inspire us or frustrate and block [the situation] in advance so that our bodies and spirits will not get hurt, suffer harm, or die.(1st April 2015 Providence: Sermons of Pastor Jung Myeong Seok)
生活の中で、ふとやろうとしたことを止めたり、いつもと違うことをしたりして、結果的に大きな事故や事件から身を免れることって少なからずあると思います。
そうした心に浮かぶ、ふとした「考え」や「感動」。
これは神様の働きなのだと摂理の御言葉では伝えられます。
人間は、自分の考えが強ければ、神様が「するなということ」や「御心でないこと」をしきりにやってしまうもの。
そしてそうするうちに、怪我をし、事故にも遭い、問題も生じ、苦労もし、最悪、死に至ることもあります。
神様は、「建物が崩れる。車が転覆する。詐欺に遭う。飛行機が墜落する。怪我をする」と具体的に内容をおっしゃることはしないと言います。
感動を与え、だめにし、止めて働きかけることが、なぜしてはいけないのか、なぜ行(い)ってはいけないのか、強力にその内容をおっしゃるのと同じなのだと言います。
だから、平素生活するとき、いつも御言葉を考えて、必要な感動を受けられるように神様とつながっていることがだいじ、という今日のお話。