「神様は全知全能なのに、なんで世の中こんなに問題だらけなんだ?」という意見を聞くことがあります。
私もそのように思っていた1人でした。
神様が完璧ならば、なんでこんなに不完全な世の中を創造されたのだろう?
むしろ、問題を起こすのは動物ではなく人間だから、人間さえいなくなれば平和なのではないか?
神様は本当に完全な方なのだろうか?
摂理の御言葉は、この問いにスッキリ答えてくれました。
<肉体を持っている人間>は「絶対者、神」を疑う。
どうしてそうなのか?
「自分」はできないから「神」もできないものと考えるのだ。
<神>は「霊の体」をもって、「心と考え」で行なうように、そのようになさるから、できる。
どういうことかというと…
人間は、肉体の存在。
けれども神様は、霊の存在。
霊の存在は、肉体を通してでしかこの地(肉の世界)で直接働くことはできません。
霊の存在は空中を行き来したりできるけれど、人間の肉体は実際空を飛ぶことはできないから、地上で働かれるにしても、できることとできないことがあります。
絶対者神様も「人間の肉体」と一緒に行えば、「肉体の限界」までしかできない。
それはまるで、<大人>が「子供」に何かをやらせて行なっても、「子供の水準」までしかできないことと同じこと。
だから
「神様はできない」のではなくて、
使われる人間が、ふさわしく「器」となって備えていないからできないということ。
神様は人間の肉体を「着る」とも言います。
問題だらけなのは、神様が問題だらけなのではなく、人間が問題だらけなのです。
このように、人間と神様の役割を分けて考えなければなりませんが、人間と神様を同一視するという認識から、冒頭の誤解が生じます。
人間は、神様と「同じ」ではないのです。
結構、スッキリしませんか?
じゃあ、人間が神様のふさわしい器になることはできるのか?という問いに対しては、長くなるので、また今度…(・ω・)ノ
参考:2016年4月23日 鄭明析(チョンミョンソク)牧師の明け方の箴言