摂理で得た祝福のひとつに、経済的な祝福があります。
教団からお金をもらってるとかではなく(念のため…)
自分一人で、自分のことを賄えて、プチ贅沢ができる祝福。
服をこだわって買ったり、
ちょっといいものを食べに行ったり、
ふらっと遠出したり、
部屋のインテリアを整えたり。
ふつーのOLと言えばそれまでなのですが、
その「普通」がしたくてもできない人もいるわけで。
改めて、今の私は「恵まれてる」なぁと。
毎週、毎月、欠かさず献金もしているけれど、
幸い「お金がない」状態にはなったことがなく、
むしろ普段、大きなお金を使うこともないので、
通帳を見て、意外と貯まるもんだなと思ったり。
信仰を持つと神様は本当に
経済が栄えるように祝福してくださいます。
摂理に来てなくても普通に働いてるのでは?
と思われるかもしれませんが、
摂理に来なくて今の状態があるかと言ったら、
私の場合は、結構怪しくて。
学生時代は、2:8ぐらいの比率で
お金<やりがいを重視して
ベンチャーなどで消耗していましたし、
実際、それでやりがいが見つかることなく(残念)、
大学を卒業した4月は無職だったからです。
正社員の切符なんてあるはずなどなく、
給与水準の低い会社で、
貿易事務の下積みをするしかありませんでした。
聖書に出会ったのは、ちょうどこの頃。
「聖書を最優先にすれば全てうまくいくよ!」
とあまりに確信に満ちてメンバーから断言されるので、
きっとそうなのだろうと思う反面、
どこか「本当かしら…」と言う思いが拭きれず、
でも続けて聖書の勉強を最優先にしていたら、
転職がトントン拍子に決まって驚いたのをよく覚えています。
その後も転職をするタイミングがきて、
正社員として働けることになったのでした。
やりがいを、目の前の仕事から、神様の願いである御心を成すことに向けられたことが大きいです。
摂理では、信仰生活ばかりしていてはいけないといいます。
信仰「生活」ですから、舞台は「生活」。
経済活動も、神様の御心を成すことであり、
神様が青年部(社会人)に期待されることでもあります。
根本的に、経済も神様のものだから、
まず信仰という根本をおさえることで、
お金に振り回されることもなくなりますし、
そのようであってこそ、
ふさわしく経済の祝福を与えて下さるのだと思います。
昨日、夕方バーゲンに行って、
あれこれ服を買いながら、
あまりのリア充に満たされたため、こんな記事を。
お金は、稼ぐのも、使うのも、楽しい♪
もちろん、全ては神様のためです。
摂理にきて受けた恩恵のひとつが、経済の祝福。
贅沢はできないけど、一人で暮らすには問題なくて、ちょっといい服も買えるし、たまには美味しいご飯も行けるし、すぐに旅行も行ける。私は衣食住が満たされないと心が荒む人なので、必要な分+αが常にできるのはとても嬉しい。
神様に感謝です。
— Sol (@sol_u21) July 22, 2018