「使命」に必須な「持続」の力

摂理では、ある一定の仕事を「使命」と言ったりすることがあります。
牧会などの大きなものから、指導者、芸術、聖歌隊など、色々あります。
ぶっちゃけ、なければつくっちゃったり。
私は強いて言うなら、このブログが「使命」かな。

「仕事」ではなく「使命」と言うのは、
それが義務的なものではなく、
神様から受けた尊い役割だからでしょう。

本業でない限り金銭的な報酬はありませんが、
神様の仕事だから、責任感は当然生まれます。

で、この使命、実践するにあたって、
スキルや適性など様々に必要とされるものがあるわけですが、
欠かせないもののひとつとして、
今朝、このような御言葉が伝えられました。

使命をもらっていない人は、瞬間しかできない。

使命のない人は瞬間しかできない。
つまり使命のある人は、継続できる。

これは本当にその通りで、
ブログひとつにしても、継続できずに辞めてしまう人をこれまで何人もみてきました。
それがいいとか悪いとかではなく、
その分野の使命者であるかそうでないかということ。
その分野で、続けて行ってほしい神様の御心があるかどうかということ。

継続性があることが、使命者にとって必要不可欠の要素だということです。

「あなたでなければできない」と言われるのが使命者だ。

教会の仕事に限らず、世の中の仕事も同様です。
続けて行える仕事がある。
すべての人がその仕事をできるわけではないと考えると、
好まず好まざるに関わらず、
それだけで「使命」と言うことができそうです。

耳がすべきことを他の肢体はできない。
各自がすべきことを各自が必ずしなければいけない。

「使命」というと、何か大きなものを思い描きがちですが、
続けて行っていることがあるならば、
意外と身近なものであるし、
そうでないならば、何か大きいものを探し求めるというよりは、
「これなら何だか続けられそうだな」というものを、
丁寧に探していけばいいのだと思います。

人はやりがいや存在意義を見出してこそ、
楽しく生きられるというもの。

 

皆さんの「使命」は何ですか?

 

2018.7.13 摂理の御言葉
出典:ゆるキャラグランプリオフィシャルHP

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キリスト教福音宣教会のブロガー。社会人で教会に通うようになり、日常を記録したい思いからブログをはじめました。絵と写真が好き。趣味は水泳&インテリア。名古屋・主の栄光教会所属。