摂理で「年をとる」ことの意味

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概して日本では「年をとる」ことに関しては、ネガティブなイメージが強いと思います。

「女性は20代までが華」なんて言われたり、何だかそういう風潮があるような。
イギリスでは、20代は「子供」扱いだったんだけどなぁ・・。

40代、50代ともなれば、「おばさん」扱いです。
→よく考えたら失礼な話だ・・。

kao (26)
失礼しちゃうわ

まぁともかくも、体力は落ちるし、お肌の老いは避けられないし、「老い」に対するイメージはやはりネガティブなもの。

でも摂理の御言葉では、このように伝えられます。

人間は「肉体」は老いていく。しかし大きくなったら違う。木が大きくなる分、違って見えるように、人間もそうだ。

人間も、そうだ。

人間も、木のように、本来であれば、成長するにつれて雄大に美しくなるもの。

見た目の「若さ」だけではありません。

木も100年経った木をみたら、最高に素敵だという。そうして200年経った木をみなさい。「形」から違う。人間もそうだ。

人間も、そうだ(2回目)。

大きくなる分、美しく、雄大で、神秘的。

が摂理の成長法則。

だから決してネガティブなものではないんです。
結婚されてから摂理に来た方や、30代、40代から摂理に来られた方もいらっしゃいます( ・ω・)ノ

結局、神様がご覧になるのは「年齢の美しさ」ではなく「心の美しさ」。
そんなふうに、神様が願われるように年を重ねていけたら、素敵ですね。

 

2016年4月25日 摂理・箴言の御言葉

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キリスト教福音宣教会のブロガー。社会人で教会に通うようになり、日常を記録したい思いからブログをはじめました。絵と写真が好き。趣味は水泳&インテリア。名古屋・主の栄光教会所属。