「やる」「やります」はいらない

摂理は、実践信仰と言われます。
つまり、みことばを聞いて終わるのでなく、
それをどれだけ実践したのかが、大事だということ。

「やる」「やります」は、言ってみれば、誰でも言えます。
でも実際、それを行動にうつす人、うつせる人、
さらにそこから継続できる人は、多くはありません。

自分自身を顧みても、恥ずかしながら、
「やる」と言って、やれるのに、
やらなかったことは多くあります。
不言実行と言うとカッコいいですが、
単純に有言実行に自信がないだけだったり…。

摂理に限らず、問われるのは、その人が何をやったか。
「行い」という実体にこそ、言葉の説得力も増します。

<神>は「絶対にやったこと」だけを見て行なわれる。だからミスがない。

みんな100%やったら、認めなさい。100%やらない人は信じないで、100%やった人だけを信じなさい。

摂理であろうとなかろうと、
行いが伴っていてこそ、その人の言葉が「本物」になります。

私が摂理に折れたのは、
御言葉を伝えて下さる先生が、
その御言葉を100%実践されていたから。

摂理は、実践信仰なのです。

2018.5.14 摂理の御言葉

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キリスト教福音宣教会のブロガー。社会人で教会に通うようになり、日常を記録したい思いからブログをはじめました。絵と写真が好き。趣味は水泳&インテリア。名古屋・主の栄光教会所属。