摂理は、実践信仰と言われます。
つまり、みことばを聞いて終わるのでなく、
それをどれだけ実践したのかが、大事だということ。
「やる」「やります」は、言ってみれば、誰でも言えます。
でも実際、それを行動にうつす人、うつせる人、
さらにそこから継続できる人は、多くはありません。
自分自身を顧みても、恥ずかしながら、
「やる」と言って、やれるのに、
やらなかったことは多くあります。
不言実行と言うとカッコいいですが、
単純に有言実行に自信がないだけだったり…。
摂理に限らず、問われるのは、その人が何をやったか。
「行い」という実体にこそ、言葉の説得力も増します。
<神>は「絶対にやったこと」だけを見て行なわれる。だからミスがない。
みんな100%やったら、認めなさい。100%やらない人は信じないで、100%やった人だけを信じなさい。
摂理であろうとなかろうと、
行いが伴っていてこそ、その人の言葉が「本物」になります。
私が摂理に折れたのは、
御言葉を伝えて下さる先生が、
その御言葉を100%実践されていたから。
摂理は、実践信仰なのです。
四年前のポンソク牧師の御言葉を読み返していて↓
「やる」はいらない。
「やりました」と言いなさい。これホント、アーメン(そのとおり)な。
— Sol (@sol_u21) May 12, 2018
2018.5.14 摂理の御言葉