摂理は神様を偶像のように仕える場所じゃない

こんなこと言うのも何ですが
私は「宗教団体」にかなり抵抗がありました。
「日本の」と言ったほうが厳密かもしれません。

なんか、とにかく神にすがるような、
狂信的なイメージがあったんです。

特に、日本のメディアがつくるイメージが
そのようなのかもしれません。
有無を言わさず没頭させるような・・。

そういうカルト的なとこなら、カンベンでした。

でも摂理が違うなと思ったのは、
ここは「神様と共に暮らす生」を説くからです。

この時代に私たちが必ずすべきことの中の一つは「三位と一緒に生きる生」だ。偶像に仕えるようにして信じるのではない。

もちろん唯一紳としての権威を立てることも説くのですが、
それはしもべのようにひれ伏すのでもなく、
裁きを恐れて萎縮しながら信じることではありません。

神様の「恋人」として
「一緒に暮らす生」なのです。

だから、すごく生活感があるというか、
むしろ、生活感しかないかもしれない(笑)
それが、すごくいいと思いました。

日本人って、神様を何か怖い存在や権威的な存在として、受け止める人も多いと思うんです。
それか、トイレにも宿っちゃうような、やおよろずの神か…極端です(*_*)

そうではなくて、
もっと身近な存在として
神様って側にいるんだよってことを、

私は摂理で教えてもらいました。

 

2017.10.30 摂理の御言葉

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週末漫画家&ブロガー。写真も撮るよ。キリスト教福音宣教会(摂理)所属。日常のことや教会のことをつれづれと。摂理がどんなところか知ってもらえたら嬉しい。趣味は雑貨集め。スイマー。おしゃれ信仰生活推進委員。