「霊的」とは何か?

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霊的になりなさい。
霊的な人だ。
霊的に御言葉を聞きなさい。

摂理で頻繁に言われる、この「霊的」という言葉。
これどういう意味でしょう??

最近、Solがある方から聞いた答え。

一言で言うと。

「メシアを知っている。」ということなのだそうです。

新約時代、イエス様の時代に一番霊的な人だったのは、異言を語る人ではなく、霊が見えた人でもなく、幻を見た人でもなく、イエス様をメシアだと見分けた人たちでした。

代表的なのが、漁師のペテロ。
漁師で、すごく肉的なように感じるけど、実は最も霊的な人でした。
なぜなら、メシアを見分けた人、この人はついていくべき人だ!と見分けたからです。

この人のために命を懸けるべきだ、あの人の言うとおりにしてこそ霊魂肉が救われるということを悟ったから、これが霊的な人だということです。

「救い人」を信じて、「その人が言う言葉」を聞いて行なってこそ、<救い>だ。
(2015年1月22日 摂理・鄭明析牧師の御言葉)

だから、「霊的な祈り」というのは、自分がメシアを天国に至る「門」だと認め告白する祈りだと言えます。

わたしは門である。わたしを通って入る者は救われる。その人は門を出入りして牧草を見つける。
(新約聖書 ヨハネによる福音書10章9節)

有名なイエス様の言葉です。

文字通り「門」なのではなく、その御言葉通りに生きてこそ、人間の価値が光を放って「変化」するから、「門」ということです。

メシア=救い人を悟れるかどうか。

ペテロのように、悟ってみたいものですね、メシア。

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キリスト教福音宣教会のブロガー。社会人で教会に通うようになり、日常を記録したい思いからブログをはじめました。絵と写真が好き。趣味は水泳&インテリア。名古屋・主の栄光教会所属。